2008年6月10日火曜日

腰痛日誌6月10日(火) (未来からの記載)

睡眠薬を貰って麻酔を切って寝た。1時過ぎに、
目が覚めた時には、既にかなりの痛みが出ていた。何しろ、夢の中では、仰向けになった私の足をロケットミサイルの発射装置に改造されていた程だ。これでは痛く無い訳が無い。座薬を入れて貰ったが、なかなか、収まらず、結局麻酔弁も開けてしまった。ぐっすり寝た筈だが、まだ眠い。昨晩から内服薬を中止し、麻酔のみになったがで、ちょっとした動きでの痛みがえらく鋭いものになってきた。歩行器を使っても2-3分が限度で冷や汗が流れ出る。お手伝いに行って便器に座るもお尻の感覚は無く、勝手に大便が出てくる。下腹に力が入らないため、小用も重力で落ちるのみ。大も小も終わったと思っても、また続いたりする。はぁ~、不便だぁ。
岡本先生から安定剤と新たな服用薬(Hypen,ムコスタ,ルボックス)を処方して貰える事になった。
内服薬のお陰か、動いても差す様な鋭い痛みに襲われる機会は、ちょっと減った。とは言え、トイレは憂鬱だ。
食事が終わって暫くすると、SSTのメンバーが3人揃って面会に来てくれた。昨日の大ボスに引き続き、有難い事だ。私が居なくとも、ちゃっちゃかと進めてくれる頼もしいメンバーで、本当に助かる。面会時間が残り15分のところで、妻も駆け付けてくれた。嬉しい限りだ。

2008年6月9日月曜日

腰痛日誌6月9日(月) 数えて15日 (未来からの記載)

相変わらず、できる事と言えば、麻酔液を出したり、
止めたりする位。食事の度にベッドの上にトレイを置く場所を確保しなければならないのだが、これが結構辛い。腰の位置を移動させる度に、痛みが増す。麻酔が、なければ、やってられないところだ。
暫く、食ってばかりなので、また、腹が張ってきている。また、浣腸かなぁ。
と思っていたところに、岡本先生が、やってきて、「歩かにゃいかん」と言う事になった。9日ぶりに起き上がる訳だが、上体を起こしただけで、目が回る。30分程の座り姿勢で体を慣らしてから、歩行器へ。そしてウンチにチャレンジ。麻酔のせいか出も悪いし、キレも悪い。おまけに、その姿勢が酷く辛い痛みを伴う。まぁ、これで浣腸の心配は、なさそうだ。
お昼ご飯もテーブル食にチャレンジするが、上体を支える腕を外せない。おにぎりを二口食べたところで断念。伏食に変更。麻酔のお陰で何とか立ち座りは、できるものの、結構ベソかく程の痛みに襲われる。きっついなぁ。
再び、岡本先生が来てくださり、飲み薬を止めて、今週いっぱいは麻酔のみで様子を診る事となった。「前向きに気長に行きましょう。」との事。先は、長そうだ。

2008年6月8日日曜日

腰痛日誌6月8日(日)数えて14日 (未来からの記載)

寝たきり生活、早くも一週間。持続麻酔のお陰で、
約6時間ゆったり眠れたが、痺れは強くなる。麻酔を止めて6時間、今度は痛みが強くなる。ただし、仙腸間接辺りにあった強い痛みは、腸骨後ろ上部側の置き鍼の様な痛みに変わってきている。触っていると、下腹部側にも響いてくる。
麻酔を止めたり、出したりしながら、何とはなしに、1日が過ぎてゆく。
宅配便の受け取りがあるとの事で、妻の見舞いは、お休み。代わりに、メールをしょっちゅう届けてくれる。今回は、携帯電話が、大活躍だ。きっかけは、「お前が、持って無くて良いのかよぉ」のVoiceManの一言だが、今は、彼に感謝したい気持ちだ。
夜の10時を過ぎた頃になって麻酔液の補充が行われた。風船形のポンプに注射器の様なシリンダで薬液を充填。当直医と看護師を含め3人掛かりである。何れにしても、大変な仕事である。

船場吉兆

彼らを擁護する気はない。が、暫く続く食の報道には、本質を見失っているのではないか、とも思う。例えば、彼らはこのニュースを食糧を輸出しながら、飢餓に喘ぐ国々に放映できる覚悟は、あるだろうか。

文化を責めるのは、簡単だが、弱者を責めて、終わりにすべき問題でも無かろう。
高級料亭でありながら、食べて貰えない料理を出した事に恥を感じなければ、いけない。これは、もちろんだ。

しかし、何よりも、弱者を仕立て、これを切り捨てると言う報道指針に一番の問題がある。
自給率の低い中、1/3の食糧が無駄になっていると言う。こうした事に抜本的な手を打ってこなかった政府にも責任の一端はあるだろうし、学校や各家庭の教育にも不徳があるのは、事実だろう。
だからこそ、報道者には、正義ある多面的な見解を望みたい。
そして、「日本人よ、目を醒ませ!リメンバー"もったいな~い。"」

2008年6月7日土曜日

腰痛日誌6月7日(土) 数えて13日 (未来からの記載)

座薬無しで、3時頃迄、眠れたのは、上等な方だろう。この辺で、
痛みが限界になり、結局座薬を所望。再び眠りに就く。7時過ぎ迄眠れたのは、一週間ぶり以上だろうか。ゆっくり眠れるのは、気持ちが良い。
浣腸に続けて、硬膜外持続性麻酔(0.25%マーカイン)を実施。尾骨の辺りから入れるのかと思っていたが、実際には、背骨中程からの挿入だった。ベッドからストレッチャーへ、ストレッチャーから手術台へ、看護婦さん達は、重労働だ。カテーテルの留置は、滞りなく終わり、痛みは、痺れに変わった。それだけでも、随分と楽だ。お昼ご飯が終わる頃になると痺れは、無くなりはしないものの、かなり和らいでいる。こう丸の左半分が痺れている事もあってか、小水の出が悪く、キレも悪い。で、暫く麻酔を停止。
夕飯を食べ終わった頃に妻がきてくれた。相変わらず、笑顔と水を運んでくれる。家から1時間半ほど、往復で3時間ほどにもなる。心強く嬉しいものだが、看病疲れが、心配でもある。
麻酔液無しでも、我慢できる程度の痛みだが、入眠には、差し支える。看護婦さんに頼んで、薬液注入再開。有頂天ホテルには、目もくれず、とっとと眠りに就く。

2008年6月6日金曜日

腰痛日誌6月6日(金) 数えて12日 (未来からの記載)

昨夜、大便をしくった時の激痛で、2時頃から、
まんじりともせず、やや睡眠不足の朝を迎えた。
本日は、転院日。救急車で搬送以来、横たわり生活6日目である。
みやじま自動車に寝台車を頼み、はるばる小岩迄搬送していただいた。約4万円の輸送費である。お昼過ぎから、MRIとX線撮影を行って、病室へ。結果は、良く判らないらしい。前回手術の後と癒着、ヘルニアの区別が付き難いとの事。暫くカテーテルを留置して、ブロック液を流し続けて様子見しましょう、と言う事になった。改善が見られなければ、木曜日に神経根ブロックで、原因特定を模索する方針との事。
岡本先生によれば、「チョロっと出たヘルニアから悪性物質が出て炎症を起こし、これが痛みの原因になっているのではないか。悪性物質にも限りがあり、摘出しない方がブロックになって良い事や、手術後の癒着が多く、神経剥離にリスクが大きい事から、先ず保存療法から始めましょう。」と言うアドバイスになった。
移動やら、検査やら盛りだくさんだったため、少々疲れた。座薬無しで、今日は眠れそうだ。
朝から、付きっきりの妻にも疲労の色が見える。

2008年6月5日木曜日

腰痛日誌6月5日(木) 数えて11日 (未来からの記載)

座薬を入れて眠りに落ちた。約4時間半の連続睡眠は、
記録更新だ。しかも、仰向けに近い形で眠れる様になってきた。そして座薬無しで更に2時間の睡眠。なんにしても、眠れるのは有り難い。
看護婦さんから、この病院でもエピはできるので相談して、と案内があった。何れにしても、情報が欲しい。せめてMRIが撮影できる状態にならないと、判断が難しい。
火曜に続き、身体を拭いて頂いた。妻でもしてくれない下の方迄、丁寧な仕事で、大変気持ちが良い。山本先生のリハビリは、左足先までジンジンと響いた。来週には、車椅子かな、との事。そして、様子見を含め、今日のブロック注射は、見送り。
さて、急展開。岩井整形外科内科の岡本先生の計らいで、明日MRI検査に引き続き、入院できる事になった。3件目にして寝台タクシーもゲット。随分と慌ただしい午後になってしまった。
そして、ゲン担ぎのため、母親に墓の修理を頼んだ。実家のお墓の一つが、雪溶け氷により破損が進んでいる為だ。2段目の墓石の裏側で、ちょうど腰の位置辺りになる。秋口から調子が悪かったりする事から考えるに、こんな事が要因の一つになっているのかも知れない。まぁ、ゲンは担いどけ!ってとこだね。
就寝前に、大便に、トライしたが、挿し込み式便器の負担はまだまだ大き過ぎ、単に激痛をもたらすのみとなってしまった。座薬を使うも痛みが収まらず、なかなか眠れない。
*.入院5日目、なかなか、目論見(期待!?)通りには、回復してくれない。

2008年6月4日水曜日

腰痛日誌6月4日(水) 数えて10日 (未来からの記載)

思うほどに眠れない。痛みはもちろんだが、
ブロック注射の後の睡眠が充実し過ぎたせいか?座薬を入れても、毎日2時頃になると目が覚める。座薬再投入が可能な6時間経過を待って、再び眠りに付いていたが、今日は我慢ができた。
多少落ちついて来たのかも知れないが、うっかりくしゃみをしてしまった。激痛がなかなか治まらない。
それと、腹が張って苦しい。2日分の便が溜まっているせいだが、仰向け用の便器と言うところに敷居の高さがある。
座薬を使って排便を試みた。催して来たので、挿し込み式便器を用いようとするが、激痛が走る。ほとんどの便は、引っ込んでしまった。何もかもが辛い。
そして、ブロック注射3回目。ガツンと骨身に染みる痛さだ。「ここが、正念場」との事。とは言え、そろそろ、動ける様になりたいものだ。それに、注射後に左足爪先と左足外くるぶしに新たな痺れと痛みが加わった
看護婦の濱田さんと相談して岩井整形外科内科への転院を打診したが、万床との事。入院予定は立てられない。弱ったものだ。
妻が急いで、駆け付けてくれた。お陰で残り3割ほどを食べさせて貰えた。楽チンだ。バカ夫婦万歳である。

*.向かいの辺りのベッドから日に何回か、「もう、やだな」というおっさんの声が、聞こえてくる。ヘルニアの手術をして、安静1週間目の様子だ。気持ちは、良く分かるね。

2008年6月3日火曜日

腰痛日誌6月3日(火) 数えて9日 (未来からの記載)

やや辛くなってきているか。
右を下に寝ているのが限界に近づいている。仰向けに寝ると足が痛い。とっととなんとかしたいものだ。
座薬や飲み薬は、もちろん一定の効果があるが、瞬間瞬間には、妻が用意してくれた水が有効だ。ずっとルルドの水を飲み続けていれば、もっとマシになるのかも知れない。
入院してから、ずっと妻が用意してくれたiPodで音楽を聴いている。この小さな箱の効果は大きい。4GB/600曲の恩恵も大きい。
お昼ご飯は、お蕎麦だった。目線より高い丼から左箸というのは、罰ゲームに近い。しかし、この非常性が、暫し痛みを遠ざけてくれるのも事実だ。
3時過ぎになって院長の吉方先生が、ブロック注射を打ってくださった。量は、20ccだ。かなり痛い。かつてミエロを撮る時に像映剤を使ったが、その時の気配に近い。まぁ、痛くとも、一瞬なら我慢はできる。
で、結果は、暫くゆったり眠れる。動かすと痛みは変わらないが、動かさなければ、我慢できる領域が増えた。正直、期待には遠く及ばないが、僅かには改善しているのだろう。
暫くして、リハビリの再開。腹式呼吸法と腰椎の手技による牽引。山本先生の指導は、信頼確かだ。そして、妻が腹を減らしながら、見舞いに来てくれた。他愛ない幾ばくかの会話がやたら嬉しい。
それにしても彼女が、京都のスクーリング期間中でなくて幸いだった。

2008年6月2日月曜日

腰痛日誌6月2日(月) 数えて8日 (未来からの記載)

吉方病院に受け入れて貰って2日目、今日から検査が始まった。
昨日は、休日で、座薬と痛み止めの飲み薬のみ。痛みは、家にいるのと変わらないが、安心感が救いだ。ブロック注射をやっと使って貰えた。4時間ほど、少し幸せな時間が訪れる。
激痛で、車椅子が使えなかったため、大部屋を人払いしてのレントゲン撮影。
これはこれで、痛みが、容赦無く襲う。検尿がなかなか採取出来ず、導尿管を使う。普通に立てれば、どうという事の無い事が悉く不自由だ。お箸も左手使い。

2008年6月1日日曜日

腰痛日誌6月1日(日) 入院初日 数えて7日 (未来からの記載)

朝、椅子に疲れて、床に横たわった。排尿を催したが、
どうやって、起き上がれば良いのか分からない。
漸く、四つん這いで後方から便器に近づくが、其所から動けない。近くの踏み台を使って、気合い一発、唸り声と共に便器に着くが、縁を持つ手を離せない。用は足したものの、動けない。昨日迄は、座って暫くすると立ち上がれたが、今日は、その気配が無い。顔面蒼白になった私を見て、妻が救急車を呼んだ。
あっという間に彼らは駆け付けて、屈強のポンプ隊が、地下から私を運び出してくれた。
忝ないが、頼もしい。
歩行が辛くなったのは、月曜日。ぎっくり腰の時と異なり、どんどん悪化した。しかも進行が早い。妻が甲斐甲斐しくサポートしてくれる。九段坂病院の再現の様だ。思い起こせば、あの時の方が症状は緩やかだった気がする。

2008年5月31日土曜日

痛い---------痛い!!!数えて6日 未来からの記載)

どんどん、悪化する。
のたうち回らずにいられない。
おとなしく寝ていることもできない。腰かけて居る方が多少、落ち着くが長持ちしない。
ベッドはそろそろ限界だ。

滅法困ったもんだ。

2008年5月29日木曜日

痛い痛い痛い痛い!!!数えて4日 (未来からの記載)

日増しに募る痛みのため、暫くは端末にも向かえない。
ここから暫くは、端末が使えるようになった未来からの書き込みだ。

この日、午前中に会社で簡単な打ち合わせのため、タクシーで乗りつけた。
途中でバス待ちに耐えられなくなったためだ。
午後、予約の岩井整形外科内科病院へ。検査をしないと安易にブロック注射も打てないらしい。
ひとまず、来週のMRIの予約だけ。
杖に時折、足が当たると、滅法痛い。

本当に困ったもんだ。

2008年5月28日水曜日

痛い痛い痛い!! 数えて3日

2日目のお休み。
一向に快方に向かう気配が無い。

掛かりつけの八木先生に相談した。
神経ブロックやエピドラスコピー、ヒアルロン酸等の可能性はどうか、と。

結果、痛み止めの注射と座薬を貰って、暫く様子を見ましょうと言うことになった。今日は低周波干渉治療器もあまり効果を感じない。痛み止めの注射も効果は感じないが、座薬は少し楽になった。

が、痛みを堪えられる姿勢が少なくなってきている気がする。眠いのに、寝返りで目が覚める...。

エピドラスコピーや硬膜外空内視鏡術等で、少し検索してみた。
西島脊椎クリニック:10年先まで予約がいっぱい。(TVで紹介されたとかで人気があるらしい。)
日本医科大多摩永山病院:紹介してもらった先生は、人気の様子で2ヵ月後で漸く予約が可能。
岩井整形外科内科:ここは、早く診てもらえそうで、明日午後からの予約を依頼(ちょっと遠いが、総武線で一本なら、我慢できるだろうか。)...紹介でも何でもないが、こなしている術数が群を抜いているので、訪ねてみた次第。

内視鏡を用いた術も半年程度しか持たないと言う報告もあり、どうしたものか先生に相談してみましょう。

保存療法と私の様な切開手術でも、統計によると4年後の状態は、ほとんど変わらなくなってしまうらしい。
当時知っていれば、せめてPLDDを選択したかった...、万能細胞とかで治療できる日が来るのを願うばかりだ。

全く困ったもんである。

2008年5月27日火曜日

痛い痛い!! 数えて2日

かなり辛い。

先週中頃からだんだん痛みが増してきたが、昨日から本格的になり、とうとう今日はお休みを取ってしまった。

寝ていても、回復の兆しの見えないのが辛い。
手洗いに行くにもベットリといやぁ~な汗が流れる。

整形、均整、整体、カイロ...それなりに効果はあるが、どうも抜本対策になっていないような気がする。
随分お金を掛けているが、ドブに捨てているようでもある。

先日から始めていたアキレス腱伸ばしと最近始めた内転筋トレーニングは、何れも結果からだけ見るとむしろ逆効果の様でもある。

次の施策をどうしましょう?長期効果には疑問があるが、エピドラスコピーなぞを試してみても良いのだろうか。

全く困ったもんである。

2008年5月25日日曜日

パワーブック520C

を久しぶりに立ち上げようとした。

机の上を片付けるにあたって、古い時代のハードディスクのバックアップを取ろうと考えた。
SCSIで全chに接続されたハードディスクはPB520Cに繋がるようになっている。
大変古いので、一つ一つは100MBとか500MBとかだが、捨てるにしてもCDに焼いてからにしたい、と考えていた。

先日仕入れたEthernetを部屋の中に張り巡らし、FlatPaneliMACとパワーブックが繋がるように配線して、起動ボタンを押すと、懐かしいスタートアップ画面が現れる...、がいきなり落ちた。

どうやら電源アダプタが逝かれたらしい。幸いにして、このPBは、種々の改造が施されていて、当時のドナーが幾つか残っている。

何とか、繋がるようにはなったものの、遅っ!
まぁ、バックアップが取れれば、良しとしよう。今日は接続確認まで。

めでとし、めでとし。

hpプリンタカートリッジの使用期限

が来てしまったらしい。
しかしながら、メニュー画面には「インクカートリッジを取外して調べてください。」の様なダイレクトでない文句が表れる。

hp56,57,58と言うインクカートリッジを使うhp2150と言う複合機だ。
バッテリーに情報が保持されているらしいと言う情報を掴んでばらしてみた。

がここまでやっても、バッテリーらしきものは見当たらない。

全く困ったもんである。

2008年5月23日金曜日

三毛猫屋発進!

KOちゃんと飲んだ。
彼は、マレーシアで仕事を始めたいと思っている。
日本の品物を扱いたいのだそうだ。

私は、何はともあれ、先ずは屋号だろうと言った。そして、可愛い屋号が良いとの彼のリクエストから「三毛猫屋」を提案した。

猫はマレーシアの人々にも愛されているらしい。日本においても招き猫に代表されるように招福の代表格だ。

東南アジア連合が出来上がる頃には、三毛猫屋グループは世界に名だたる組織になっていたりするかも知れない。

応援したいと思う。めでとし、めでとし。

2008年5月22日木曜日

私の妻はあまのじゃく

妻「会社に行くのが大変だから、お弁当を作りたくても作れない。」
私「会社を辞めても、お弁当を作らないと思う。」

そんな、何気ない会話もお弁当作りが始まったきっかけの一つなのかも知れない。
「会社に行っているのに毎日お弁当を作っている。」...自慢げだ。
↑暗い机よりもうるさいエアコンの脇の方が、きっとおいしい。

確かに朝の忙しい時間に決して手早とは言えない彼女がお弁当を作るのはさぞ大変な事なのだろうと思う。過去、私が手弁当を持って会社に通っていた頃も、慌ただしかった記憶がある。

いつまで、続くかは分からないが、その健気さに、めでとし、めでとし。

2008年5月18日日曜日

ストライダの自転車台

を作ってみた。
↑玄関先にスチールパイプで組立てた

トラコンとストライダを玄関先に収納しているが、少々野暮ったい。
と言うわけで自転車台になるスチールラックを組み立てた。
前側に傾くので、少々スワリが悪い。もう少し、綺麗に収納できるようにしたいものだ。
と言うより、自転車の数に対して玄関が狭すぎるんだなぁ。

全く困ったもんである。

2008年5月17日土曜日

秋川渓谷でBBQ

天気が良かった。バーベキュー日和である。
↑周りは川辺ではしゃぐ若者と家族連れ。オヤジ連は、珍しい存在だ。

見込みは甘くとも、進んでいれば、目的地には着く。
然れども、慣れぬ道故か、片道35kmは、なかなかに遠い。
とは言え、散歩の友に我が家のBianchiは、気持ち良く走ってくれる。

本日の走行距離:約70km
本日の走行時間:約5時間

めでとし、めでとし。

2008年5月15日木曜日

5月のコモパンが届いた

今回はトロピカルコモパンズ
↑早速マンゴーを食するも、うまい!!

12個のコモパン。
コモパンが届く頃なれば、お給料遠からじ♪

めでとし、めでとし。

2008年5月14日水曜日

お弁当第2弾

手作り弁当第2弾である。
↑好物のポテトサラダも付いた!

お弁当屋さんが持ってくる、通称"赤弁"に比すると、どういう訳かゆったりと食べられる。
とりわけ、量が多いと言うわけではないが、うまさの中に、少々の非日常を感じてしまう。

めでとし、めでとし。

2008年5月13日火曜日

初めてのお弁当

を妻が作ってくれた。

結婚して長らく経つが、会社に持っていくお弁当を作ってくれたのは、今日が初めてだ。↑おにぎりが最近の"彼女のブーム"になっている。

初めてのお弁当であることを告げると、随分とびっくりしていた。
妻「とてもそうは思えない。」
私「でも、作った記憶は無いでしょう。」
妻「しかし、作らなかった記憶も無い。」

私は、彼女の会社弁当を最近、二度に渡って作ってあげた。
「数では負けているが、量では勝っている。」と語ってくれた。

相変わらずの馬鹿夫婦である。めでとし、めでとし。

2008年5月12日月曜日

黄斑上膜!?

目覚めると天井の陵の部分がユラユラと揺らいで見える。

以前にも何度か経験している。

これとは別に、4次元生物アルルスの様な光景を目にする機会がある時期増えた。軽い脳震盪を起こした時等に、良く目にする光景だが、最近は激しい運動をする機会が減ってアルルスは久しく見ていない。

"直線が歪んで見える"現象をウェブで調べると"黄斑上膜"と言う症例が出てきた。
疲れ目は、ずっと続いているが、こんな現象が我が身に起きているとしたら、嫌だなぁ。

全く困ったもんである。

2008年5月11日日曜日

JEEPの足元灯をLED化

一昨日、クライスラーサービスから電話があった。
バッテリーリークを見てもらうために、預かってもらっていたが、現象は出ないらしい。暗電流も3mA程度との事。走行テストをしても問題無しとのことで、引き取ってきた。工賃3,780円なり。

ざっと調べて見るが、問題ない様子。何だったのだろう。暫く様子見かな。

で、足元灯あたりの接触を見たりした、いじりついでに、バルブを見るとBA15Sタイプ。
↑先日、作って"お蔵入り"と思われたバルブが役に立つことが分かった。

↑思いがけず、足元灯をLED化。結構明るい♪

バッテリーも起動時電圧10.4Vと若干ヘタリ気味との事なので、ちょうど良いかも。

めでとし、めでとし。

屋根付きスクータに水が溜まってら~!

雨が降った。

風でボディーカバーが剥がれ気味だった。
ストップランプを直そうと、トランクを開けて見ると、内側サイドの窪みに水が溜まっている。
「雨漏りするのは、しょうがない」としよう。しかし、雨漏りの水が溜まって抜けない、と言うのは、設計不良も良いところだ。

で、仕方が無いので、水抜きの穴を開けて、ひとまず対策。
↑両サイドの青○の中に水が溜まっている。あ~ぁ...。

テールランプもどういう訳か、テスタで調べて接続しなおしたら、直ってしまった。単なる接触不良!?

全く困ったもんだ。

2008年5月10日土曜日

オンワード社員家族販売会

に行ってきた。
カミサンは随分と楽しみにしていたが、今回は不漁だった。

ビッグサイトに移ってから2度ほどになるが、国際展示場駅を降り立つ人の流れを見ているだけで、気持ちが悪くなるほどの混雑ぶりだ。

「さっさと目的の物を見つけて!」と言われても、欲しいものがある訳でも、自分でコーディネートできる訳でもない。

紳士売り場と婦人売り場に別れたが、携帯を忘れたことにその後気が付いた。会場で落ち合うことはできたものの、帰りの電車ではぐれた。 何でだ!?

武蔵境駅でやっと合流。めでとし、めでとし。

2008年5月9日金曜日

自動車税を支払い

毎年この時期になると、自動車の維持費は、なんて高いのだろう、と感じる。
JEEP:66,500円
Boldo'r:4,000円
これに来年からは、
屋根付きスクーター:2,400円が加わる。

まぁ、ほとんどがJEEPの維持費なのだが。
これに2台分の車庫と車検を考えると、月々4万円弱の維持費がベースとして掛かっている事になる。
修理や燃料代のランニングコストが加わるので、普通に考えると、公共機関の方がはるかに"お得!"。

贅沢なんだか、無駄なんだか...。

とは言え、維持できるだけでも、めでとし、めでとし。

2008年5月6日火曜日

屋根付きスクータの修理

を試したが、なかなか終わらない。
臭い匂いは、バルブの熱で周辺が溶けているせいだと分かったのは一昨日。

↑バルブの熱でケースが溶けて、あちこちくっ付いている。こんな溶け方するか、普通。

ステーキナイフをトンカチで、ガンガン叩く、叩く、叩く。
当然バルブのガラスも割れる。
気にせず、叩く。漸く引っ剥がせたが、こんなのはバイク屋さんでも修理してくれるだろうか。

↑こうなるとバルブソケットも使い物にならない。

バルブ交換だけの予定だったのだが...、ソケットを近所のNAPSで調達。
ソケットを半田付け、ドリルで穴を開けて、ネジを切って、溶けたレフにアルミシートを貼って、ホットグルーで補修。

さぁ、取り付けて完了!のはずが...。
キーを捻ると、はなっからブレーキランプしか付かない。

試行錯誤、数時間...。ブレーキスイッチの調整不良。分かれば、簡単。溶けたのも、ずっとブレーキ灯が付きっ放しだったからか。

だいたい、動くようになったが、左の尾灯が付かない。ソケットまで電圧は来ているのになぁ。
朝の6時から始めて、夜の7時になっても、まだ終わらない。もう、暗いので、今日はここまで。

それにしても、手の掛かるスクーターだ!全く困ったもんである。

P.S.
 1)リアトランクの固定ネジの脱落も発見。折を見て直さねば。
 2)ついでに、ブレーキレバーの遊びを調整&アクセルワイヤーにシリコングリス塗布。
 3)ついでに、屋根とフロントシールドの接続部にスポンジパッキンを貼付。
 4)ついでに、CBXのスクリーンから剥げはじめたプロテクトモールも貼り直し。

2008年5月5日月曜日

CBXのナンバー灯をLED化

しようと試みてみた。
ちょっと大きなシングル灯を調達。

ナンバーを照らすためには、拡散光の方が都合が良い。
1.LEDの光が集光しないように頭を平らに加工。
2.更にコーンを先端に付けて、横方向に反射するように加工。
3.コーンの支持には拡散板を使用して、更にブロードな分布を目指す。



で、取り付け...なんと頭が大きすぎてバルブ穴に入らないじゃぁないか。

また、役に立たないものを作ってしまった。全く困ったもんである。

2008年5月4日日曜日

山形にソロツーリング

早起きをした。天気が良かった。久しぶりに少し遠出の散歩に出ることにした。
仙台に行きたいと思っていたが、出発が少し遅くなったので、目的地を山形に定めた。
荻窪よりも北側の環八を通るのは随分と久しぶり、いつの間にやら随分道が綺麗になって、建物も変わっている。4号線も随分走りやすくなっていた。
↑この時点で13時半、目的地を米沢に変更。

↑大師山、高倉山あたりか、雪がまだ残っている。

↑羽鳥湖に続く121号線のどこか。天空に連なる道。

↑羽鳥湖の湖畔。桜がまだ咲いている。
カメラを向けていたら通りがかりのライダーが身を屈めてくれたが、ぴったりのタイミングだった。狙っても、こうは写せない。

↑赤線が往、青線が復。総工程は、約680km。給油4回で、燃料は約38l。久しぶりに良く走った。
本日の主なルート:青梅街道-環八-4号-13号-121号-118号-4号-東北道-環八-千川通り-青梅街道-武蔵境通り

↑今日も一日お疲れ様!のCBX。高速も入れると平均時速50km/h。屋根付きスクーターじゃ、こうは気持ち良く走れないのだろうなぁ。
*.Small Lampで両目光るようになっているのが、"おっしゃれ~♪"なところ!

そう言えば、東北道の下りで同形車のCBX Boldo'rと一瞬並走した。まだ生き残りがいるのは、嬉しい限りだ。

めでとし、めでとし。

2008年5月3日土曜日

かまきり2世号のかごを修理

してしまった。

↑底が抜けて、前輪に角が当たり始めてしまっていたので、床板の残りで底板を再生!

これで、暫くカマキリ2世号も暫く安泰だぁ。めでとし、めでとし。

屋根付きスクータ用ヘルメット

に良いかなぁ、と高校・大学生の頃に使っていたヘルメットを実家から持ち出してきた。
↑ヘルメットを改造!(打者用の野球帽の様になってしまった)
コンペシールドは、熱なのか経年変化なのか歪んで格好良くなっている。が、曇って良く見えない。

そこで、小改造。帽子のつばを切り取ってはめ込み、スモークシールドを切って取り付け。
ついでにサイドのステッカーもチューニング。

どっちが格好良いのだか、微妙~。

めでとし、めでとし。

2008年5月2日金曜日

本日は工房ディ その2

昨日に引き続き...修理とメンテ三昧。

1.屋根付きスクータ
1) のサイドスタンドを鉄鋸でごりごりカット。ちょうど良い感じで傾くようになった。
↑ガソリンも入れやすくなってめでとし、めでとし。

2)ついでにスピーカグリルを開けてみた。汚ったねぇ~。
↑汚いだけでなく、テキトーなスピーカの取り付け!

3)100kmほど走ってみた。途中、小雨になったが、屋根が無くともこれだけスクリーンが大きいとほとんど気にならない。走り終わるとなにやら臭い。匂いの元は、テールランプだった。バルブの熱で中のプラスチックが溶ける匂いがしていたらしい。ランプ周りも触れないほど熱い。明らかな設計不良だ。とっととLEDバルブに変えないと拙そうだ。

4)総括:これで、もう少し音が良くて(ほとんど原付4stと同じ音)、力があって(国産125ccに劣る!?)、窮屈でなくて(独り乗りと思えばOK)、何より壊れなければ、良い乗り物なのだろうと思う。

2.JEEP
いくらやっても、原因が分からないので、クライスラーJEEPサービスセンタに持ち込んだ。暫くお預けだねぇ。

3.ストライダ
 リアタイヤが、しょうっちゅう脱腸するものだから、思い切ってリペアムゲルを入れることにした。以前、遠くのリペアムショップから紹介していただいた自転舎屋さん、荻窪までストライダと言うのはちょっと遠い。こちらも暫くお預けだ。

2008年5月1日木曜日

本日は工房ディ

であった。

1.屋根付きスクーター アドミラルいじり
 1)デンソーのイリジウムプラグに交換:アイドリングも少々調整して、始動性向上!↑新しいイリジウムの箱と今までのプラグ(焼け具合はまぁまぁ)

 2)車載工具充実:近くのバイク屋さんで譲ってもらった車載工具は、肝心な種類の工具に欠ける。で、ちまちまと工具を補充。レンチとドライバがあれば、かなり弄れる。
 3)テールランプのLED化:どんなかな、と思ってテールランプを開けたら、熱でランプ周りにしっかりとレンズが溶けていた。外そうとしたらバルブが割れてしまい、仕方なしに手持ちのLEDバルブ(これも通販)に交換。反対側も熱で溶けてるのが、外から分かる。新しく替えを買ってきて取り替えてしまおう!↑国産車ではありえないひどい有様

 4)サイドスタンド調整:ひとまず外すだけ。後で鉄鋸でゴリゴリ寸詰めしよう!
 5)増し締め:緩んでいるところもあれば、馬鹿になっているところもある。そもそもボルトのセンターが出ていなかったりする。"やれやれ"だ。
 6)メンテナンスマニュアル購入:単車好きと言いながら、自分でも意外なほど付きい方を知らない。で、ひとまず書籍を購入してみた。多少は保守の心得が無いと付き合えない単車のようだ。
 

2.住まいの繕い
 1)駐車場の草が伸び始めた。単車の内側に蔓なんかが絡まないうちに除草剤を散布。
 2)ベランダデッキに汚れ落しの"コレトレール"を散布。茶色い液体で却って汚れそうだが、放っておくだけで、何となく綺麗になる優れもの。(これも通販)
 3)ダンボール畳み。夫婦そろって、通販が多いので、油断していると直ぐに部屋の中がダンボールだらけになってしまう。

3.自転車弄り
 1)MTBから外したハンドルの錆取り。"ケレンSST"をたっぷり塗って放っとくとだんだん錆が取れる優れもの。(これも通販)
 2)カマキリ2世号のかご修理:今日は外すところまで。(そう言えば、この自転車も通販だ)
 3)ストライダのリペアムゲル化:今日はお店までのルートを調べるところまで。どうやら、本日はお休みらしい。

4.JEEP修理(できず)
 バッテリーの上がったJEEP。
 原因調査にも、機械式は出入りが激しく、場所が悪い。
 一箇所ヒューズを外すと、リークしない場所を見つけて、バッテリー接続。
 外に借りている駐車場に移動。(私はもう一箇所に車庫があるからこんなこともできるが、無かったら大変だ。)
 ↑赤丸のリレーを外すとリークが消える。ここまではOKなのだが...

 なかなか、特定できない。クライスラーに電話をして、心当たりを聞いてみる。
 で、再調査。と、特定~!社外のリレーが逝っているらしい。良し、これを外せば問題なし、と復旧!
 しかぁ~し、組み上げるとリークが収まっていない。
 しかぁ~も、ヒューズを外してもリークが止まらない。現象が変わってしまったぁ。
 厄介だぁ。 
 明日、クライスラーに持っていこう、と思う。やばそっ。

KuraMotthiから花束

を頂いた。

KuraMotthiと言えば、"薔薇の園”がしょっちゅう記事になる三鷹界隈では有名どころのお嬢様。
ユリをはじめ、いろいろと詰め合わせてもらってお花屋さんのよう。
↑見事な詰め合わせでした

”訳あって余っている”との事だったが、我が家すら、お裾分けに預かれるのは有り難い話である。
↑待ち合わせのジブリ前ベンチにかわいく並ぶトラコンとビアンキミニベロ8,お散歩モード全開でトラコンを転がす女子大生の妻

めでとし、めでとし。