2011年9月28日水曜日

かまきり二世号のサムシフター修理

が叶ってのう。

一昨日にシフトワイヤーの切れてしもうたかまきり二世号。
昨晩には、サムシフターを外して、先ずは分解するも、中身を確認してみるならば、ワイヤーは分解せずとも交換できる仕様になっておるではないか。
↑バラして見たものの苦労して組上がらば、外からワイヤを通せば良いのみ。不覚!

さんざっぱら、苦労して、漸くサムシフターを組付けるならば、ワイヤーは外から通さば、即仕舞いとなろう。これならば、わざわざサムシフターをハンドルから取外す必要すら無かったのう。

シフトチェンジの調整は追々行なうとして、ひとまず、何となくとも変速ができるようになるならば、随分と快適さも増そうと言うもの。

↑通勤途上でバッチリ調整済み。

このところ、少々ギア鳴りがしたり、ソフトチェンジが甘かったりと感じておったのは、ワイヤ切れの兆候であったかのう。そして、たかだかワイヤを交換したに過ぎぬのにどういう訳か、乗り味が軽くなってしもうた。ギアとの噛み合わせ精度が増したと言うことであろうかのう。

めでとし、めでとし。

2011年9月26日月曜日

かまきり二世号のシフトワイヤー

が切れてしもうた。


帰宅の途にあって、いきなりサムシフターが空回りをするようになったのは、ワイヤー切れのためである。
シフトワイヤーが切れてしもうては、ファイナルギアは一番重い7速にて固定されてしまうのう。

無論、漕ぎ出しは重く、STOP&GOを繰り返す町乗りには向かぬ。
幸いにして近所の自転車あさひは、店じまい前にて、重チャリのままシフトワイヤーを430円にて購入。
シフトレバーの修理は、過去に試みて、万歳した経験があるが、今回は、クリアできるであろうかのう。

果てさて、如何なる結末となるやら。
全く困ったもんである。

2011年9月25日日曜日

マグナトライクにステアリングダンパー

を取り付けてのう。

マグトラ購入当初、ハンドルのブレがあまりにも酷かったため、ステダンを手に入れておったのだが、レイク角度の調整とロングフォーク化により快適なハンドリングを手に入れたがため、ステダンは放りっぱなしになっておってのう。

なれど、少々きつい段差越えを行なおうとすらば、あまりに軽いハンドリングゆえ車体が捩れるが如く震える状況を我慢しておったのだ。
これなる状況を改善するに最も相応しいのは、まさしくステアリングダンパーであろうが、取付金具は、ワンオフで起こさねばならぬ状況であったことも、長らく放置プレイが続いた原因でもあろう。

天気の良い秋の日長、漸く腰が上がってのう。
先に金鋸と鑢で整えた取付金具をラジエータ背面のクレードルパイプに取付け(無論ラジエータは外されねばならぬ)、延長ステーを介して無事ステダンが取り付いたんである。

↑左右にハンドルを切らば、ダンパー軸を丸々使い切ってしまうが、問題無かろう

さて、様子を見るたびに一走りするならば、パワステの如き軽やかなハンドリングには幾分かしっくりとした落ち着き感が滲み出し、段差越えにても慌てる気配は一切無い扱い易い操作が可能になっておる。

ステダンのみならず、トレール調整と合間ってのハンドリング達成であろうが、長距離にても安心感の期待できる感覚であるのう。

めでとし、めでとし。

カンタ君の自転車

にアクシデントが起きてのう。

お隣には、冷静な長男のカンタ君とやんちゃ姫二人の兄妹が住まうておる。
やんちゃ盛りの末姫ショウちゃんがカンタ君の自転車の鍵をポッキリと折ってしもうたらしい。
鍵穴には鍵の先端が入ったままとなれば、これは最早破壊するほか道はあるまい。

近所の子供達が集まり、親子で苦労する様子なれば、身共としても放ってはおけぬもの。助太刀いたすとばかりに、日々活躍する金鋸を持って参上仕る次第。

輪形の錠前は、アルミ製ではあるものの、無垢材の様子にて、金鋸と雖も易々とは切り落ちてもくれぬ。カンタ親子と力を合わせて交代で鋸引かば、漸くにして切り落とすに至ってのう。
↑近所の子達の見守る中、金鋸を引くカンタ少年

錠前は、使い物にならぬが、再び自転車が使えるようにならば一件落着であろう。
めでとし、めでとし。

2011年9月24日土曜日

立川談春

の独演会に赴いてのう。

恒例の三鷹市公会堂にての落語なんである。


今回のお題目は、"二人旅"と"三軒長屋"。終ってしまえば、あとには何も残らぬ爽快感に溢れていよう。
正に"落語の王道"と言っても過言ではなかろう。

実に楽しい独演会であったのう。
めでとし、めでとし。

台風の爪痕2

は、カバー類に多く現れておってのう。

スカイデッキのテーブルを守るカバーもヤレてきてはおったのだが、この台風で、止めを刺されてしもうた。
最早、黄色いテーブルを守る役割を果たすことは、できぬブルーシート。

↑なれば、交換止む無し、と重量級のシルバーシートを用意

せめて、冬は何事も無く超えて欲しいものであるのう。
全く困ったもんである。

一男さんの芝刈り機

がお目見えしてのう。

我が家に戻るのを途中のりんご畑で待っておってくれたのであるが、傍らにはりんご園の草刈用の新たなおもちゃ(失礼)の草刈機が。

前に踏むとアクセル、後ろに踏むと後退と言う画期的な作動系を備える最近の草刈機にして、セルモータ付きなれば、ゴーカートよりも上手と言っても過言ではあるまい

↑軽快な音で、スタスタと走り去って行く。

台風に晒されずに済んだ取れたてのりんごを箱から溢れんばかりに頂き、一路我が家への向かうのであった。

毎年、美味しいりんごをかたじけのうございます。
めでとし、めでとし。

MOVAN LIGER

で散歩を楽しんでのう。

先日、家に届いたマイクロトラックMovanLigerであるが、エンジンが掛からぬようになったと母親がのたもうておって、調子を見たところ、幾分エンジンの掛かりが悪くなっておったが、寒さゆえであろうか。

チョークの扱いを教えておらなんだことが原因であって、バッテリーチャージも十分でエンジンも快調である。折角の帰省であれば、少々動かしてみるも悪くなかろうと、5kmほどの散歩に出掛けてのう。

↑姿形はトラックであっても、小型特殊の規格ゆえ、最高速はバッチリ15km/h。

車窓を流れる風景も、緩やかなものである。単気筒エンジンの調べは、耕運機そのもので、乗り出しのトルク感からすれば、もっと低回転で2-30km/hは出て欲しいと欲が出てしまおうが、それでは本末転倒であろう。

↑荷掛けを取り払い、スッキリした後姿にも好感が持てよう

母親には、未だ今ひとつ気に入られぬ様子であるが、良い車体と思うのであるがのう。不整地でのキックバックがもう少し小さくなれば、運転し易くなるであろうかのう。

今暫し、様子を見て考えることにしようかのう。ひとまずは、"めでとし、めでとし"としておくが良かろう。

2011年9月23日金曜日

小布施

を久し振りを訪れてのう。

小布施と言えば、栗の里にて、この季節には観光客も押し寄せよう。
今回目指したのは、初栗を使うたモンブランであったが、如何様な訳か、所望の品は見つからなんだ。
かくなる上は、栗おこわを頂こうと、栗庵 風味堂を目指したんである。

小布施栗菓子といえば、竹風堂と桜井甘精堂、小布施堂があまりにも有名であるが、今回の選択は、風味堂。小布施の中でも老舗の栗菓子屋さんであってのう。

↑店先にあるConvoy88に惹かれた事もあっての入店。ご当主が紙コップとは思えぬ器に茶を入れてお持ちくださった。

店内にて、それはそれは、美味しい栗おこわを頂き、一散歩して戻るなら栗庵豆乳ソフトを平らげるも良かろう。

↑店先のConvoy88

言わずと知れた光岡の原付バッテリーカーであるが、ナンバは既に切られておって、今は不動である由。描かれた文様は身共の趣味とは異なろうが、これが目当ての来客もあるらしく、良い看板になっている様子である。小布施には、別のお店が所有するもう一台のConvoy作動車があるとのこと。

こんな場所であれば、小さなデリバリーカーとして重宝しそうである。

↑もう一つのお目当てとなる北斎館

風味堂と隣合う場所に位置する北斎館。富嶽三十六景と言えば、あまりにも有名であろうが、ここに展覧される北斎の絵画は、それこそ現代の漫画家宜しく多方面にわたる活躍の様子が想像できるものである。草双紙や御伽草子の装丁に加わった様に当時の流行作家、あるいは売れっ子作家として、大変な人気があった様子。

何ゆえに小布施において北斎館であるのかと訝しがっておったのだが、晩年、親交のあった小布施の豪商・高井鴻山の元に長く逗留し、画業70年の集大成をはかった特別な土地であるとの事。偉業の持つ人が訪れる地と言うのは、それだけでも活力のある人々が住まう性格を生み出すものであるのやも知れぬのう。

めでとし、めでとし。

2011年9月21日水曜日

台風の爪痕

が色々なところに現れておってのう。

節電休暇最後となる本日においては、大型の台風がたいそうな勢いで、過ぎていったのは、ニュースにても大々的に報道されておった。
強い台風を室内からならば、幾分は楽しめようと大構えでおったが、いつの間にやら、フェンスに括りつけておいたビアンキ野ウサギ号は横倒しになっておる。

雨の中を起こしに玄関に出てみるならば、二人羽織宜しく重ね着をさせておったが、最上部の一枚は粉々に砕け散り、その下に二枚重ねで製作したばかりのカバーすらも穴だらけになってしもうておった。

↑大風の度に破れ裂けるシート

そして、地階の手洗いに向かった妻からの悲鳴が届くに至っては、何事かと駆け付けるならば、便器の蓋にすすけた汚れが多量に落ちておる。
天井を見上げるならば、そこに天井画は無く、換気扇が...。
↑どうやら、換気扇に通ずる導風ダクトよりゴミが逆流した模様

敷地の木々が45゜に傾いていたこととても、報道されるニュースに比ぶれば、他愛の無い不始末であろうが、驚かされる威力であったのう。

全く困ったもんである。

2011年9月18日日曜日

かまきり二世号メンテナンス

を試みてのう。

・暫く前から、7速を使うと、僅かに何かが緩んでおるような音が発生することが多くなっておった。スプロケが緩んでおるのではなかろうかと、後輪を外して増し締めをしようと思うたのだが、緩みは無く、少々テンションが緩くなっておったスポーク調整のみ。これでは、何も変わらぬであろうのう。

・先に交換しておったペダルの組込み。ペダルのネジ部分の先端が欠けてボルトが締まらぬようになっておったが故、奥側のボルトを鑢って薄くしての組込み。これにて、利用可能になったものの、改めての出番はあろうかのう。


・サドルの綻びに何度かホットボンドを利用して修繕を試みておったが、乗ると直ぐに剥げてしもうておった。雨後に乗るならば、綻びから水が染み出て、お尻が濡れてしまうのは、いささか頂けぬ。なればと、今回はホットボンドを綻びの中に注入。幾分長持ちしてくれることを願おうかのう。


めでとし、めでとし。

唄うヘッドライトのショートツーリング

にマグナで出掛けてのう。

日の出が遅くなった朝ともなれば、少々の早起きにても、空はそぞろ暗く、ヘッドライトに浮かぶ景色が徐々に白んでゆくのは趣があろう。
↑ヘッドライトが未明を照らし、徐に広がり始める朝焼け

このところ、休日ともなれば、1時間ほどの街乗りソロツーリングを楽しむのが、恒例となっておったが、気が付かば、日も短くなって参ったのう。この僅かに移ろう時間は好きな時間であってのう。

めでとし、めでとし。

2011年9月14日水曜日

日本人の知らない日本語

を1巻目と2巻目を連続で読んでしもうてのう。

以前、歯医者に通うておった時に手にした本で、僅かな待合時間に読みきれなんだがため、図書館に予約を入れておったんであるが、半年掛かりで漸く順番が回ってきてのう。

コミックエッセイなれば、2冊と言えども、数時間と要さずに読み終えてしまうのが、精神衛生にも良いのう。

↑さらりと軽く楽しく読めるものの、勉強になるのう

しゃもじ、ほのじが室町時代の宮中のGAL語が江戸時代に広まったものであったり、ですますが江戸時代の芸者さんの言葉であったり、ひらがなやカタカナの由来、半濁音がポルトガル宣教師達の発明であったりと、日本語のルーツに迫る話題がそこかしこに散りばめられた教養溢るる内容であったのう。

第3巻が待ち遠しいのう。めでとし、めでとし。

CBX750F Boldor'のオイル交換

を行のうてのう。

今朝、久し振りに愛機CBXを目覚めさせ、まだ幾分疎らな車道を走らせてみてのう。朝は、気持ちが良いのう、少々、エンジン回転を上げてみるなら、少々ガサつく感じを受けよう。

4,000回転辺りまでは、非常にスムーズに回るのだが、5,000回転を超える辺りから、ガサゴソと滑らかさがスポイルされる感覚に、ふと、オイル交換を長らく行のうておらぬことを思い出してのう。

先日の車検の折に、少々オイルの継ぎ足しがあったのだが、ここは、しっかりと入替えるが良かろうと、向かった先はドライバースタンド二輪館。

↑我が愛機を囲んでオイル交換の作戦会議

愛機Boldor'は、エンジンを包むクレードルフレーム内にオイル流路を設けて、オイルクーラーへと接続されておる。それ故、しっかりオイル交換を行ないたければ、サイドフレームに取り付けられたドレンボルトからもオイルを落とさねばならぬ。
なれど、オイルシールの在庫が無いとの事で、オイルパンのドレンボルトのみからの交換としてのう。そのような打ち合わせがあったゆえ、作業者との間での珍しい打ち合わせとなった模様。

規定では2.5リットルほどのオイル交換量であるが、ほぼ3リットルを呑み込んだ模様。これにて、当面安心して乗れようと、家に帰り着いて、ふとエンジンの再始動を試みると、バッテリー切れの様相にて、セルが回らぬ。バッテリーの突然死、それともオルタネータのご臨終か?

暫しの休憩の後に、道具立てを持って再始動するなら、何事も無かったようにエンジンに火が入ってしもうた。電圧も出ておるし、回転を上げれば、それなりに電圧も上がる。バッテリーも順調。
再現せぬ不具合は、不安を誘うのう。

全く困ったもんである。

CBX750F Boldor'のシートカバー

が破れ始めておる。

先日、手放したアドミラル号に掛けておったシートカバーもヤレは進んでおるが、それでもCBXに重ね着させておったカバーに比ぶれば、随分マシな様子。

なれば、ここは、二人羽織に強化の上で更に三枚重ねにしてやろうかのう、と更に古いシートに糊を撒き散らし、テープで裏打ちしたシートカバーを重ねてみたんである。なかなか3枚重ねともなると、シートも重く嵩張ることこの上無いが、最近のシートカバーの品質低下にあっては、致し方あるまい。

↑これにて、暫しの長持ちとなれば、幸いとなろう。

めでとし、めでとし。

360cc軽自動車ノスタルジア

なる本を読んでのう。

「見て・触れて・乗った!」なるサブタイトルの付いたムック本なんである。
幼年期には、360ccの軽自動車が身近にあった事が思い起こされるのう。
↑やんちゃな軽自動車が所狭しと走り回る

母親が免許を取って初めて手にした車は、三菱ミニカであったし、近所のいとこはスバル360を良く押し掛けして乗っておった。同じく従姉妹の姉さんは、ミニカスキッパーと言うリアクスクープドウィンドゥガラスの付いた洒落たクーペに乗っておったのう。中学の時に担任であったサトやんは、ダイハツフェローが愛車で、ラジオがほとんど助手席側に陣取っておったのを揶揄したのも懐かしく思い出されよう。

この本にも、その当時の話題はあるが、その中心はむしろそれよりも幾分か前の軽自動車の規格が混沌としておった頃からの車史を辿っておるのが、身共には目新しい。

ダイハツのみならずのオート三輪、Vツインディーゼルのヤンマーポニー、一つ目小僧のフジキャビン、200ccでトルコン装備のコニー・グッピー、デザインディテールが現在にも通じるマツダK360 、等々...。

今でも軽自動車のカテゴリーでは、普通車が優等生になり過ぎてしまったのに比ぶれば、やんちゃなクルマが少なく無い気はしようが、それでもこの頃の本気の遊び感覚に、まだまだ追い付けぬのは、時代の大らかさ故であろうか。

現代の車たちにも単車の如き、個性と尖がったキャラクターがあったら、ずっと楽しかろうにのう。

こんな、楽しげな軽自動車達であるが、現在のダイハツミゼットですら、ハンドルに足が支えてブレーキペダルが踏めぬ身共の体格にあっては、仮に機会があっても、転がすことままならぬであろう事は、想像に難くなかろう。

なれど、こうした書物にて、その経験と記憶の一部が共有できらば、これまた嬉しいことであるのう。
めでとし、めでとし。

2011年9月11日日曜日

iPOD用スピーカースタンドに外部スピーカー

のコードを接続してのう。

↑中身は程よく隙間があるが、イヤホンジャックには向かぬ

中の回路を見てみるならば、左右のスピーカへの出力はAMP出力から独立しており、それぞれの端子の電圧値も同期しておらぬ。
この仕様では、イヤホンジャックのCOM共通取り出しには支障があるやも知れぬ。
なれば、直接外部スピーカ用コードを取り出すが良かろう。

思案中のスピーカユニットは、いつになったら出来上がるかのう。
まずは、めでとし、めでとし。

2011年9月10日土曜日

さらばアドミラル号

と相成ってのう。


アディバのコピーとしか言いようの無い姿形なれど、エンジンやフレームはホンダ車のコピーとして作られておると言う中華特有の折衷良いとこ取りのコンセプトにより出来上がった結果は、今ひとつお粗末と言わざるを得まい。

とは言え、屋根のある車体と言うのは、便利に感ずることも多かったのだが、中々復活できずにおって、心が挫け始めておったのも事実。


マフラーが落ちたり、プラグを替えたり、LEDランプにしたり、接触不良を直したり...。HID化用にバルブシステムも購入しておったが、結局使わずじまいとなったのう。


購入してまもなく、腰痛で病臥することになったがため、走行距離は500kmにも満たぬまい。思い起こさば、高い買い物であったかのう。


なれば、と引取り先に移送していただくこととなったのだが、フロントディスクにブレーキが齧り気味だったせいもあってか、運び屋さんが、積み込み中にミラーをポッキリと...。なにやら、乱暴な...。

いきなり、更に痛々しい姿にての別れとなってしもうたのう。
もう少し格好良くて、もう少し風化耐性に優れておったなら、もう少し良い相棒となったであろうに、残念であるのう。

どこぞの主人の元で、新たな道を歩んでくれることを願いつつ、”さらばアドミラル号”
めでとし、めでとし。

2011年9月7日水曜日

乗らずに死ねないクルマ・365台

365 CARS
YOU MUST DRIVE
なる本を読んでのう。
↑改めて買ってしまおうかのう。

旧世代のクルマから、比較的最近のクルマまで、著書の好みによって選ばれた車が所狭しと紙面を賑わせておる。
日本語訳が、少々つたない気もするが、それが却って原文の雰囲気を伝える按配にて、眺めるのみに留まらず、随分と楽しんでしもうた。

クルマ雑誌も多く発行されておろうが、国内の新車情報にばかり偏っておるのに比べ、クラシックから現代までの車を単なる好き嫌いで選り分けておるところに好感が持てよう。

必ずしも、持ってみたい、乗ってみたいと思うクルマばかりでは無かろうが、ページをめくるごとに、何がしからそのクルマとの関係を持っていたが如き感情を持つのは、不思議よのう。

古今東西の美しかったり、秀逸だったり、魅惑的だったりするデザインと設計思想に触れられるなら、贅沢な時間でもあろう。

めでとし、めでとし。

浮世絵の本

を読んでみた、と言うよりも眺めてみた、と言った方が正解に近いであろうか。


・すぐわかる 楽しい 江戸の浮世絵 江戸の人はどう使ったか
・美術館へ行こう 浮世絵に遊ぶ

と言う2冊の本に触れてみたんである。

江戸時代における浮世絵と言うのが、挿絵やポスター、広告やファッション誌に及ぶまで、至る所に進出しておったと言うのが新鮮であった。

なるほど、写真の無い時代においては、先端的なアートとして、広く人々の中に受け入れられておったのも頷ける気がするのう。浮世絵と聞かば、写楽、北斎、広重等を思い浮かべてしまいがちにて、その絵は風景画や歌舞伎、芸者と言った類の描写を想像するが多かろう。なれど、魍魎や物の怪、がチラシや挿絵に登場するなら、それはそれで楽しい時代であった事を伺わせよう。

現代においても、浮世絵が如きタッチの漫画や挿絵がもう少し増えても良さげな気がするが、斯様な奇特者はおらぬものかのう。

めでとし、めでとし。

2011年9月4日日曜日

逆立ち日本論

なる本を読んでのう。



我が妻が、借りてきた本であり、彼女が一気に読了したのに絆されて、又貸しならぬ又読みに至ってのう。
今回は"高級漫才"と渉する養老孟司氏と内田樹(うちだたつる)氏の対談形式となっておる。

書の中に、風通しの良い本なる記述があり、表紙を開けた途端に向こうの扉が見える本とそうでない本があるそうな。この意味では、この書物には向こうの扉が見えるような気配は感じられなんだのう。

緩急あり、面白い部分もあるのだが、ユダヤ文化に触れる部分と全共闘に関わる部分は、身共にとってはいささか畑違いの感があれば、一気読了と言う勢いには至らなんだ。

とは言え、政治家の票田を背景とした政策論議と欧州における高福祉社会がそのスケールにより成立している解析は、これまでの経験からは考えてもおらなんだ切り口にて、興味深げであったのう。

話の面白さと得るところの多寡は別として、風に飛ばされてしまうが如き四方山話を講義とするも、勉学の一助となろうかのう。
めでとし、めでとし。

平作のうどん

を食してのう。

小平にあるお気に入りの丸亀製麺へと向かう途中に"武蔵野うどん"の看板を持つうどん屋があって、その店構えの立派さに以前より気になっておってのう。

多く、駐車場が混んでおることもあって、素通りしておったが、本日立ち寄るに至ったんである。
平作の内部は、古民家を改装したが如き、風情のある贅沢な作りとなっておる。大きな柱時計。土壁を覆う縄垂れ等々、思い入れも多そうだのう。
注文したのは、オーソドックスに盛りうどんを2枚。妻は鴨南蛮を所望。

さて、"武蔵野うどん"と聞かば、ソフト麺に濃く甘いだし汁が連想されようが、そうではない。程好い柔らかさと出汁の効いた美味しい汁によるもので、程好く旨いのう。

柔らかめの麺は、身共にとっては、物足りなさを感ずるものではあるが、昭和病院に隣り合う立地条件(*1)であるならば、むしろ当然とも言えよう。

はて、身共らとは異なり、他の客人たちは、皆判で押したかのように、鍋焼きうどんを注文される。この季節に"鍋焼き!?"とは、如何なる心情にてのことであろうか。なれど、この注文数を鑑みるならば、"鍋焼き"を食さねば、ここのうどんについては語れぬと言うことなのかも知れぬ。

店構えに負けぬ立派な味わいを得られるか否かについて、改めて検証の機会を伺うが良かろう。
めでとし、めでとし。

*1.法則1:病院付近のそばうどん屋の麺はコシが無い。

2011年9月1日木曜日

腕時計の電池交換

も数多くこなすなら、電池の山が出来よう。

↑交換後の小さな酸化銀電池が失せぬようにセロテープで仮止め

こんな按配に並べておいたなら、何やら虫の様だと、妻が驚いておったのう。
にしても、交換後の時計がしっかりとと時を刻んでくれるなら、めでとし、めでとし。