2011年3月26日土曜日

腰痛日誌3/26(土)

少し早めに菊池脳神経外科整形外科に出掛けてみると、比較的、患者数は少なく空いておった。このところ、臀部の張りが強くなることが多く灸を据えておった故、灸の処方もできぬものかと相談してみたのだが、鍼灸は保険適用にならず、処方箋も出せぬものである由。

とは言え、気付けば、夜中に体が痺れてマイクロ波治療器を頼る機会もこの一ヶ月ほどは無くなっておる。暖かさが増してきておるのと、灸も効いておるのであろうかのう。

例の如くの処方箋に加え、モーラステープを調達。一部は被災地向けに転用しようかのう。

そして、視力の改善のため、吉祥寺証クリニックを訪れてのう。
この2週間ほど使い続けた"十全大補湯"は、未だ定かなる効果を感じてはおらぬが、煎じ薬から粉末薬に変更を依頼してのう。
煎じ薬は、毎日煮出さねばならぬが、我が妻は煎じ薬の匂いに弱く、くしゃみや咳のトリガとなる様子。ここは、手間も掛からず、使い易い粉剤を試してみるも良かろう。成分はほぼ変わらぬ由ならば、湯を持って頓服いたさば、効果も高まろう。
↑煎じ薬から粉薬と顆粒に変更

処方箋を貰うたものの、調剤薬局は、人だかりの山なれば、調合を願い、暫しの時間で昼食を得ることとした。久々に訪れたのは"はなまるうどん"。

声の高いおじさんが、居のうなってから味が落ちたと妻が申しておったが、本日訪ねたところ、いつもの甲高い声のおじさんが復活しておった。なれば、味も問題無し。旨いのう。

にしても、薬の調達だけでも、ほとんど一日掛かりと言うのも、全く困ったもんである。

2011年3月24日木曜日

みずほ銀行のトラブルと東北地方太平洋沖地震

には、関係があろう。

聞かば、あと1,100件の未処理分となり、本日中に残務解消との由。
手元資金に余力が無いために義援金を供出できぬ諸氏も多かったことであろう。
みずほが正常化するならば、資金援助にもいっそう弾みが付くのを期待したいのう。

身共においても、みずほの口座が使えぬ事で、難儀しておったので、妻に頼み、ゆうちょの窓口にて振込みを行のうて貰ろうた。

案内には、以下の記述があるのだが...、
----------------------------------------
義援金窓口:郵便局、ゆうちょ銀行
口座記号番号:00140-8-507
口座加入者名:日本赤十字社 東北関東大震災義援金
郵便局窓口で日本赤十字社の東北関東大震災に対する義援金である旨申し出ていただいた上で、振込用紙の通信欄に「東北関東大震災」と明記し、お名前、ご住所、お電話番号を記入してください。窓口での取り扱いの場合、振込手数料は免除されます。
窓口でお取りいただいた半券(受領証)は、大切に保管しておいてください。
----------------------------------------

振込用紙に全て、手書きで書かねばなら無かったらしい。せめて、口座名やあて先くらいを印刷して並べて置くくらいのサービスをゆうちょにも期待したいものであるのう。

・お金があれば助かる命
・人手があれば助かる命
・知恵や機転で助かる命
・食べ物があれば助かる命
・暖かければ助かる命
・動ければ助かる命
・薬があれば助かる命
・気合や根性で助かる命


助かる命には、背景も種々あろう。何が命を助けるのかと言う見方から手の差し伸べ方を考えるも悪くは無かろう。

2011年3月21日月曜日

ダイナブックSS-R575へのLinuxインストール2

前回、DSLの起動は、確認できたものの、画面解像度が合わなんだりしたため、HDDを更にしたまま、放ってあったのだが、再び、トライしたんである。

■先ずは、PuppyをCDブートし、ターゲットのHDDをUSB-IDE変換器を用いて接続。
1.G-partedを用いてHDDを3つにパーティショニング
2.区画1/区画2はext3にして、それぞれ、DSLとTC用に確保。区画3はLinux-swap領域に。
3.Puppyを区画1にインストール後、/boot/grub/menu.lstと/boot/grub/device.mapを残して消去
4.Windowsに切替え、Unetbootinを用いて、DSLを区画1にTCを区画2にインストール
5.区画1のmenu.lstとdevice.mapを以下のように書き換え

device.map

(hd0) /dev/hda

(hd1) /dev/sda


manu.lst

# GRUB configuration file '/boot/grub/menu.lst'.

# generated by 'grubconfig'. Sun Mar 13 19:23:48 2011

#

# The backup copy of the MBR for drive '/dev/sdb1' is

# here '/boot/grub/mbr.sdb.12828'. You can restore it like this.

# dd if=/boot/grub/mbr.sdb.12828 of=/dev/sdb1 bs=512 count=1

#

# Start GRUB global section

 timeout 30

 color light-gray/blue black/light-gray

# End GRUB global section

# Linux bootable partition config begins

title Tiny Core Linux (on /dev/hda2)

root (hd0,1)

kernel /boot/bzImage root=/dev/hda2 ro vga=normal

initrd=/boot/tinycore.gz quiet waitusb=5 lang=ja_JP.utf8 kmap=jp106 tz=Asia/Tokyo noutc showapps

# Linux bootable partition config ends

# Linux bootable partition config begins

 title Damn Small Linux (on /dev/hda1)

 root (hd0,0)

 kernel /boot/isolinux/linux24 root=/dev/hda1 ro vga=normal

 initrd=/boot/isolinux/minirt24.gz

# APPEND ramdisk_size=100000 init=/etc/init lang=ja apm=power-off vga=791 initrd=minirt24.gz nomce noapic quiet BOOT_IMAGE=knoppix

# Linux bootable partition config ends

title Install GRUB to floppy disk (on /dev/fd0)

pause Insert a formatted floppy disk and press enter.

root (hd0,0)

setup (fd0)

pause Press enter to continue.


title Install GRUB to Linux partition (on /dev/hda1)

root (hd0,0)

setup (hd0,0)

pause Press enter to continue.


title - For help press 'c', then type: 'help'

root (hd0)

title - For usage examples, type: 'cat /boot/grub/usage.txt'

root (hd0)


6.上記を丁寧に書き換えれば、kernel panic続きだった画面から漸く起動が進むようになったのう。

【TC】
1.loginはデフォルトのtcで。
 そのままでは、"can't open '/etc/sysconfig/tcuser':No such file or directory"と表示されよう。
2.swap領域が確保されぬらしく、メモリ上のみの展開なれば、"startx"にても"no space not on device"と表示されてしまおう。
3.df-hと調べてみるなら40MBのメモリの57%が消費されておる。
4."swapon -a"後"swapon -s"で確認すれども、swapファイルを認識してくれぬ様子。
5.元々、/dev/hda3には広大!?なswap領域を設定しておるのだが、これを認識してくれぬ。
*.良く々調べてみるならば、TC日本語版は最低でも128MBを必要とするらしく、kernel panicを起こさずにプロンプト起動まで為せれば、御の字なのやも知れぬ。
身共には、ここまでかのう。
↑grubメニューから"Tiny Core Linux"を選んで進まば、コマンドプロンプトで起動終了。

【DSL】
1.何となく起動が進んだなら、setupx -shで画面設定を開始

↑"jp106"のキーボードを選択
↑"Xvesa"を選択

↑SS-R575は"SGA"なので"640×480"を選択

↑6万5千色なれば"16bit"を選択

2.コマンドプロンプトから、"startx"で起動

↑良く分からないので"Yes"を幾つか継続
↑をををぉ~!綺麗に起動したのう。

↑設定画面も丁寧で使い勝手は良さげであるのう。

随分と長く遊んでしもうたが、これから先は、もっと楽しんでもらえる人に楽しんで貰うが良かろうのう。
めでとし、めでとし。

2011年3月20日日曜日

CBXの単車カバー

が、いつの間にやらボロボロになっておろう。

少し、ヤレが強くなったのを感じ始め、新しいシートを手配しておったのが、先頃届いてのう。
雨の予報もあるならば、今の内に交換しておくが良かろうと、駐車場に赴いて見るなら、既にボロボロではないか。

隣のアドミラル号すらシートが破れまくり2号の状態。
新しいシートを注文しておいて良かったのう。

↑いずれも2枚重ねで羽織らせておくが良かろう

既に用を足さない程度に破れまくるシートだが、重ね着させておくならば、紫外線からのヤレには多少強くなっても良かろう。

ここに越すまでは、多少なりとも屋根のある場所に保管できたのだが、屋根の無いところでの保管に至っては風雨とお天道様によるダメージは応えるらしい。先に新調したカバーも1年ほどしか持たなんだ。

これも仕方あるまいかのう。
全く困ったもんである。

かまきり二世号のおちょこ調整

を行のうてみたんである。
昨日のヘッドライト交換に引き続き、いま少しメンテナンスしておくも良かろうという次第で、ブレーキの調整、タイヤの空気圧、かごの留めネジ強化に続き、オチョコの調整と相成った。

このところ、走行中に変速機辺りからカツンという音がしばしば聞かれるようになり、チェーンラインの改善も試みておいて悪くは無かろうと思い立ったのが始まりかのう。

↑ひっくり返して調整を行なえば、良い感じの回り方

ブレーキパッドを外し、タイヤのベクトル合わせを行のうたら、オフセット量の調整に入るが良かろう。何度か通った道なれば、"ひょいひょい"で調整完了!

漕ぎも幾分、軽くなった気分で、めでとし、めでとし。

2011年3月19日土曜日

腰痛日誌3/19(土)

そこそこ、回復してきた筈であるのだが、このところ、左足の爪先には痺れを感じることが多くなり、妻に灸を据えてもらう機会が増しておる。

未だ寒い季節なのと、日頃の運動強度がそこはかとなく上がっているのも要因に上げられるやも知れぬ。柳下のおじいちゃんが亡くなってから、少しばかり上向いていた回復曲線に変曲点を迎えてしまったような気配すら感じるのう。

なればと、又も、立川の柳下はり院へと赴いてのう。早い時間にも開けておるとの話を聞き、マグトラで出掛けたんである。7時頃に出発し、8時前には到着。既に待合室は開いておるが、一番乗り。以前は5時前から人が並んでおったそうだが、おじいちゃんが亡くなってからは、患者さんの数もめっきりと減ってしもうた様子。

今回は、臀部に長鍼も入れていただき、帰途に着いたのだが、行きにも帰りにもあちこちに、ガソリン待ちの渋滞が見受けられた。こんな状況になると、如何に車と言うのが脆弱な乗り物かと言うことを思い知らされるのう。

たとえ燃料があっても、被災地の様子を見ておっても分かるよう渋滞してしまえば、車は使い物にならぬ。電車も減本され、利用できぬ区間が突然起きたりする今の状況では、通院もままならぬのう。

冷えには底抜けに弱く、歩けても1時間かそこらが限界のこの体で、彼の被災地にあったとしたら、耐え難い苦しみに喘いでいたか、既に命を落としていたかのいずれかであったろう。
此度の地震でも自転車で移動できる範囲に居なかったら、どうなっていたことやら。10kmも離れておったなら、帰宅困難者として歩ける訳も無く、一晩を屋外で過せるほどの耐性がある筈も無い。そんなことを考えながら、被災地に想いを馳せると辛さが増すのう。

改めて、犠牲になられた方々とそのご家族にお悔やみ申し上げると共に、被害に遭われた方々にお見舞い申し上げたい。

2011年3月18日金曜日

かまきり二世号のヘッドライトを交換

してのう。

以前より装備しておったLED3灯×2個の前照灯は、日に照らされ、雨に打たれて、接触が悪くなったのか、走行中に消えたりしてしもうておる。

そして、最近続く余震も不安もあり、高級品への入れ替え決意に及んだ次第。↑防水仕様の2灯で明かりの減った夜道にも心強い

新しい前照灯は、以前より入手していたものであるが、Bianchi野ウサギ号に使おうと考えておったのだ。しかし、出動機会の多い、かまきり二世号にあって、いざと言うときに照らせない様な前照灯では、心許なかろう。

なんと言っても、昇圧回路が仕込まれておって、単3電池2本で十分に明るいと言うのが便利なところよのう。少々使い古した電池でも、最後まで使い切って捨てられると言うところにも、エコフレンドリーな心持が感じられる。

そして、以前のライトとホルダー穴がコンパチで使える上、いざとなればネジを外して携帯できるものポイントであろう。

めでとし、めでとし。

2011年3月16日水曜日

福島第一原発事故

に関して思うことを綴ろうと思う。

1.先ず、風楽法師は、東電を応援しておるぞ。

この非常事態の中、東電、東芝の皆さんが非常時被曝限度を250mSvにも引き上げられた中を文字通り懸命に取り組んでいる姿は想像に難くない。

核種こそ異なれども、身共らもSr、Pm、Kr、X線を扱う仲間として、対岸の火事とも言い切れぬ想いが込み上げて参ろう。そんな中、少しでも停電を回避しようとして計画停電に至らずに済んでいる事態を捉えて、"計画不履行"なぞと申す輩とそれを映して流してしまうマスコミには、悲痛さを感じずにはおられぬ。

これには、"計画"と言う言葉の響きに拠るところも有ろう。真面目一本な日本人は、計画と聞いた途端に履行すべきものと捉えてしまうきらいもあろう。
なれば、提案したい。"不確定性計画停電"若しくは、"非確定計画停電"と言う呼称は如何だろうか。

2.人体への影響について
身共らも日々、フィルムバッジを着装して仕事に勤しんでおる身なれば、連日流れる線量の値も気になるところである。正直、ニュースから流れる値は、身共らが通常、遮蔽を施して測定する値を元に考えれば、十分にビビる数値であろう。

なれど、それは、法律を守るための数値でもあり、実際の人体への影響度を考えると、少々視点が異なったりするのも事実であろうか。

念のため、少々復習をしておくも良かろう。
1)等価線量限度と実効線量限度
あまり知られてはおらぬ様に感じるが、職業人とパンピーではそれぞれ線量限度が異なる。
職業被曝では、20mSv/年の線量限度が設定されておる。
公衆被曝では1mSv/年となれば、例えば1,000μSv/hの報道があったが、この状態で1時間被曝すれば、この限度となろう。1時間程度なればどうという事は無いが、20時間被曝するならば、職業人と同等の限度になってしまおう。

2)被曝限度
職業被曝のうちでも、緊急作業時は100mSv/年が設定される。
これが今回審議会を経て厚労省のお達しにより250mSv/年に引き上げられたのである。


3)急性障害の種類と死亡
さて、この250mSvとはどういう値であろうか。
下表に有るように"ほとんど臨床症状なし"と言われる言わば"限度いっぱい"の値として想定されておる数字であろう。
 "ほとんど"と言うのは、"少しは異なる"と同義であり、急性障害は無くとも晩発障害の確率が高まることは想像に難くなかろう。

4)防護材
そんな危ない状態に丸腰で入って行くわけにもならねば、世の中には、防護材なるものが存在する。
化学防護材の役割は、"第一次的にイオン化された分子に作用して、引き続いて起こる化学変化量を減少させる"もので、被曝前に投与されている必要があろう。
四半世紀前に習ったときには、MEA(mercaptoethylamin)、AET(aminoetylthiuronium)、5HT(5-hydroxytryptamine)なぞと言う正体も分からぬ物質が挙げられておった。
最近では、SH化合物(システイン,システアミン,シスタミン,グルタチオン,メルカプトグアジン,ジメチルスルホキシド)で放射線の間接作用が軽減されると習うたのう。但し、いずれも副作用が強いらしい。

また、137Iに対する安定剤としてヨウ化カリウム剤も近年は配備されておると聞く。
そう言えばと、暫く使っておらなんだ小林製薬の"のどぬ~るスプレー"の成分表を眺めてみるならば、タップリとヨウ化カリウムが入っておる。
テレビではデマ情報としてうがい薬に効果が無いと報道されておるが、100ml中に1gも入っておるならば必要量は2-3本で摂取できる計算となろう。

それならばと、買い求めに出掛けたのだが、成分が変わっておる!
↑のどぬ~るスプレーBとのどぬ~るすプレーA

富山小林製薬の"のどぬ~るスプレーA"には、タップリとヨウ化カリウムが入っておるのに、先ほど買ったばかりの"のどぬ~るスプレーB"はヨウ化カリウムがその他の添加物に成り下がっておる。

なるほど、これではデマと報道されても仕方無かろう。これはこれで、普通の喉薬として活躍してもらおうかのう。

3.シールドルーム
身共が普段関わるのは、X線。近年、大線量を扱うようになり、シールドルーム内に機器を設置しての試験を行のうておる。
シールドルームは、分厚く、頑丈なステンレス板に覆われておるのだが、ふと気が付くとなにやらぐらついておって、柱の一部が浮いておる。

あちこちを覗いて原因を探るなら、シールドルームを支える床面の縁に板材が潜り込んでおるではないか。厚さ5cmほどの板材が大きく重いシールドルームに潜り込んだと言うことは、それ以上に浮き上がったことを意味しよう。
原発事故には比較にもならぬが、あの時の揺れは、職場にあっても、決して馬鹿にできぬ力を持っていたのだと改めて感じ入った次第。良くこの程度の障害で収まったものである。

4. 風評被害
放射線を何か細菌や病気のように考えておられる方がおるようだが、これは、全くの別物であることも周知が必要であろう。
放射線によって障害や病気が引き起こされることはあろうが、放射線そのものに細菌性の特性があるわけではない。付着した放射性物質は、拭取ったり、洗い流したりして"除染"が十分に可能であるし、体内に吸い込んだ物質があっても、相当量の核種を飲み込んだりと言うのでなければ、本人から外に漏れ出すほどのことは無かろう。
何より、体外に放出できるほどの相当量を体に蓄えた瞬間に急性障害によって死亡してしまおう。"ゾンビ化した被曝者がうろつきまわる"なぞと言う心配は杞憂であろう。

何より、"被曝"と"被爆"を混同されとる信憑性の低い内容を鵜呑みにするのはまずかろう。

頑張る日本を応援しようぞ。

2011年3月15日火曜日

3月のコモパン

が届いてのう。

このご時世でも嬉しいことに、毎月と変わらぬ15日に"ミルクとあずきのコモパンセット"が届いてのう。
↑このご時世、食料品が届くならば、安心感も増すと言うもの

コモの皆さん、ヤマト便の皆さん、忝い。
日持ちのするコモパン、震災地にも大量に届けれるならば、良いのだがのう。

2011年3月13日日曜日

小平うどん

を訪れたんである。

昨日も、今日も丸亀製麺は、地震のためお休み。
美味しいおうどんを食したいものと、少々雰囲気の似ている"小平うどん"に足を運んでみたんである。

こちらは、丸亀製麺とは打って変わって、武蔵野うどん独特の太っとい麺を甘辛の肉汁で頂くと言う関東仕様。大根おろしに慣れ親しんだ身共の舌には少々甘すぎ、辛すぎであろうかのう。
↑600gの麺は身共には多すぎであった。

太麺も、コシの感じがスイトンに近い。
人それぞれであろうが、丸亀製麺に軍配有りと感じた次第。
早く、あの旨い釜揚げうどんに有り付きたいものである。

ubuntu8.04にLXDE

をインストールしてみてのう。


参考にしたのはこちら

半ば、訳も分からずに、以下を実施。

  1. GNOMEメニューの「システム」⇒「システム管理」⇒「ソフトウェア・ソース」をクリックする。
  2. 表示されるダイアログにて、「サードパーティのソフトウェア」タブをクリックする。
  3. 「追加」ボタンを押す。表示される入力フォームで「deb http://ppa.launchpad.net/lxde/ubuntu hardy main」と入力して、「ソースを追加」ボタンを押す。
  4. もう一度「追加」ボタンを押す。表示される入力フォームで「deb-src http://ppa.launchpad.net/lxde/ubuntu hardy main」と入力して、「ソースを追加」ボタンを押す。
  5. 「ソフトウェア・ソース」のウィンドウを閉じる。(閉じる際に、リポジトリのアップデート作業が行われるはず)
  6. ターミナルで、「sudo aptitude install lxde」コマンドを実行する。これで、LXDEがインストールできる。
いったん、ログアウトし、SesssionメニューからLXDEを選んでログオンするならば、青地にLXDEのロゴがシンプルな新たなデスクトップ環境が立ち上がろう。

次なるは、"shutter"ソフトのインストール。アクセサリーメニューにshutterが出て来ぬので、スクリーンショットが取れぬが、幾分か軽くなったかのう。

無線の設定やサーバ接続、Anthy辞書も、これまでの物がそのまま引き継がれておるようで、移行はまずまずかのう。

と、ほくそ笑んでおったのも束の間。再起動を掛けるならば、無線LANに繋がらぬようになってしもうた。対策には、この辺が参考となろうかのう。

曰く、
/etc/xdg/autostart/以下の各種ファイルで
"OnlyShowIn=GNOME;XFCE;" → "NotShowIn=KDE;"
と書き換えるが、回避策とのこと。

これもGnome側からのテキストエディタからだとアクセス権が無うらしく書き換えられぬのう。

種々試して、使えそうな按配になったものの、再起動すると無線設定がおかしゅうなって繋がらぬ。
軽量で気に入りそうであったものの、無線設定にて、断念せざるを得ぬ状況となってしもうた。

まだまだ、修行が足りぬらしいのう。
全く困ったもんである。

時間が経つにつれ大きくなる被害

の報道がなされる。

今この間にも、日本中の多くの人々がテレビや報道に釘付けになっているのであろう。
気持ちがあっても駆けつけることのできぬ人々も多い筈。

ただそれだけでは、何も生み出される訳ではなく、復興支援に繋がるはずも無い。
なれば、離れて暮らす身共らにできることは、祈りを捧げることくらいしか無かろうか。

なれどそれが、大事。

とは言え、身近なところから、できることをしていくのも大事なことであろう。
一つ.いたずらに、買占めや買い控えをすることなく、経済を回せるよう、平静を保つこと肝要なり。
一つ.これを他山の石として、災難への備えを強化するも良き計らいとなろう。
一つ.義援金なりも役立つ筈であろう。

と、手持ち口座の一つ、ジャパンネットバンクから日本赤十字への義援金支出を行のうてみたのだ。
振込み簡単なネットバンクと言うのは、こんな時にこそ威力を発揮するのかも知れぬ。
振込先はこちら
↑ものの数分で振込み完了

各種ポイントやら不用品の叩き売りやらで数百円程度の単位で貯めておった口座なれば、こんな時に役立ってこそ、幸いであろう。

残高3,434円となれば、これにて震災も納まって貰わねばのう。
良し。

2011年3月12日土曜日

空恐ろしい地震

を経験することとなったのう。

東北関東中部に及び地震なれば、親戚縁者仲間達の安否も気になるところ。
連絡の付く人には、たいした被害は無い模様なれど、連絡の取れぬ人は、どうしておるのか心配である。

昨日の職場においても、"ヘルメット装着"、程なく"机に潜りましょう!"の号令を発し、震えの治まるを以ってグランドへの非難となったが、その折にゆっくりと大きく揺れ動く武蔵野タワーを目の当たりにするに至っては、笑ってばかりもおられぬのう。

早めに切り上げて帰宅するなら、"散らかり放題"と伝えられた部屋の中もほぼ片付けられ、大事には至たらなんだ様子。タワースピーカやミニカーが落ちたり、倒れたりして、一部破損等あるが、生活に支障は無く、心配しておった我がホビーショップも小物が落ちた程度。地下は揺れが少ないと言う事であろうか。

電車も動かぬ状況なれば、週末予定の京都旅行も取り止めとなろう。
まったく困ったもんである。

2011年3月5日土曜日

久能山は家康公が廟所

である。

久し振りに静岡の実家に足を伸ばすならばと、寄り道をば、してみんとのことに相成ってのう。1,000円と値の張る駐車場に車を納め、1,500段を優に超える階段を登るならば舎利殿らしき建物が現れよう。



↑暫し進むならば、なにやら人だかりが...

↑覗き込んでみるなら、プラモデル類に混じって..何ゆえの"とりささみ"缶!?

↑こちらは、漆の補修中
↑家康公が廟所。御霊は、日光に移れども、遺体そのものは、ここに眠るそうな。
↑身長155cm、体重60kgの家康公は妻と違わぬほどの手のひらサイズ

↑帰り道も始終富士山に見守られながら、実に富士山日和なドライブであったのう。

めでとし、めでとし。

丸天の海鮮かき揚げ丼

を食してのう。

↑丸天のかき揚丼を食すなら、早起きをせねばとミッキー水島さんに聞いておってのう。朝陽富士を拝みながらの進軍である。

↑7:30から営業の丸天に到着!見た目は魚河岸に良くある食堂

↑メニューのセンターポジションを陣取る特許かき揚丼

↑高く積まれたカサゴやてんぷらに美味しそうなお品書きの数々

↑マグロテールシチューもご注文
↑これが海鮮かき揚タワー!!!

↑見よ、この高さ

天汁を掛けながら徐々に崩しつつ食べるのがお店のアドバイスであるが、一気に横倒しして食すミッキー水島流に習い、食べ始めると、旨いのう。

...が、二人で二皿は、我ら夫婦にとっては、過分であるらしく、食しきれぬ分は、折を頂き、お持ち帰りと相成った。

めでとし、めでとし。