2009年7月12日日曜日

全面革張りの腕時計

を買いました。

↑文字盤の内側まで革です。

まぁ、何といいますか、夏休みを削ってまで、ムツカシイ講習会に参加してお疲れ様って感じのご褒美でございます。
お気に入りのLONGINESは、ベルトに余裕が無いので、このところの陽気だと汗ばんで、気持ち悪かったりするのです。

↑腕に巻いてみました。

本体の下側が少し浮いていて、ベルトも細身が2本となって、ゆったり巻ける上、風通しが良く、この季節には、向いている様です。珍しさも手伝って、お気に入りに登録ですなぁ。

めでとし、めでとし。

...そしてご褒美お買い物は、しばらく続くのですなぁ。

2009年7月11日土曜日

姫のお見舞い

午後から妻と一緒に姫のお見舞いに向かった。
今回の"元気付けアイテム"は、青竹踏み。

まだ、ベッドに横たわったままの姫が青竹を使うわけにはいかないが、看護のご母堂や妹さんの疲労が幾分かでも和らげば、姫にも良い影響が出てくることでしょう。

↑子供たちが作った姫の顔♪

部屋の壁には、お子さんがお見舞いに作った姫の顔が飾られている。ちゃんと姫の顔に見えるから立派なものだ。

ようよう良くなって、青竹踏みも楽しんでもらいたいものだ。

腰痛日誌7/11(土)

夏休み最後となる週末は、やっぱり治療通院だ。
月曜、火曜と午前中にちょっとばかり会社に顔を出し、水曜から金曜までは講習会通いで、連日朝が早かった。
「全く、休暇だった気がしない」、と妻が言うがまさしく同感だ。その上、立川通院の今日も、5時起き。このところ早寝が習慣化してしまった私には、そう辛いことも無いが、妻は眠そうに朝食を用意してくれる。毎日5時起きでの通勤がなくなって3ヶ月半、早起きの辛い生活に慣れまくっているらしい。

で、7時に着いて20人程。土曜にしては空いている方なのだろうが、やっぱり丸々5時間コース。お昼になっても待合室には20人程が詰めている。見馴れた人達も多くなってきた。
治療後に、また先生に聞いてみた。
「そろそろ、いっぱい歩いても良い頃でしょうか」
「未だ、駄目だぁ。やっと、ここ迄、良くなってきたんだからぁ。まぁけれど、随分良くなってきているから、慌てなさんな。」と。
どうも、自分で感じるよりも身体の回復は遅れがちの様だ。
思えば、この感覚と実状の差が何べんもの振り返し減退をもたらした要因なのかも知れない。
今月中には、もう少し制限を外せるかと思っていたが、未々油断禁物なのかも。全く困ったもんである。

2009年7月10日金曜日

第2種放射線取扱主任者講習三日目

夏休みを費やした講習会も今日が最終日。

座学が終了すると、終了試験が行われる。落とすための試験ではないので、試験の要点を教えてくれるのだが、これが早口で、内容も早くて、何がどうだか、その場でおぼえ切れるもんではないぃ~。

なので、三日間の座学中は、ちゃんと耳の穴をかっぽじってしっかり聞いておくのが正解と言うことらしい。当たり前っちゃぁ、当たり前だが、ブランクの長い私にとっては、結構適当に記憶されている内容を整理せにゃならんので厄介だ。しかも、かつて試験を受けたときから、法令が随分変わっていて、面食らう場面も少なくなかったのだ。

問題は20問。1時間の試験で、分かる部分もあり、分からない部分もあり。合格点が何点かは分からないが60点から80点くらいで合格なのだろうか。15人全員がめでたく合格となったところを見ると、合格ラインは、60点位なのかも知れない。

センタに一括で免状の申し込みを依頼して、小一ヶ月も待つと手元に主任者免状が届くのだそうだ。
試験の合格証も研修の終了証も、この申請に合わせて原本を送ってしまうので、手元からは無くなってしまう。せっかくなので、カメラに収めることにした。


↑講習の終了証(画像が荒くて何だか分からんわぃ)

青春の一ページを費やした気分だった7年前の試験勉強だが、ようやく何となくも形になろうとしている。
それが望みという訳ではないが、良く頑張りました、と言うことで、めでとし、めでとし。

今後、講習会を受ける人のために、終了試験の内容を少しばかり紹介しておきましょう!
20問の試験は全て五肢択一で、「正しいものを選ぶ」ものと「正しくないものを選ぶ」ものが混在する。
(順番は適当で、正解かどうかの責任は持てません。)

1.運搬に関する問題で、「輸送指数は1mSvを1とする」:×
2.放射線障害には、しきい線量を持つ確定的障害と、線量に比例する確率的障害がある。:◯
3.60Co線源から1m離れた位置でGM計数管式サーベイメータで測定したところ10mSv/hだった。補正係数を0.79として線源の線量が何Bqかを求めよ。
4.安全管理と業務効率では、効率を優先するべき場面もあるため、取扱主任者は柔軟に対応しなければならない。:×
5.遮蔽物を2mの位置におくと線量が半減した。この遮蔽物を外したときに同じ線量となる距離を求めよ。
6.床面の傷を直したり、壁の塗装を塗り替えたりしたが、施設の補修の用件として当てはまるものはどれか。
7.施設の点検項目として誤っているものを選べ。:清掃が6ヶ月毎に行われているかの点検。
8.健康診断の保管期限は3年である。:×
9.密封線源の等級には試験の無いものがある。:◯
10.密封線源の取扱では、目視および触って確認する:×
11.密封線源の性能要件は、温度/圧力/衝撃/振動/パンクの五つ。:◯
12.事業所境界の管理値は、1.3mSv/年である。:×
13.フィルムバッチの取付け位置に関する問題
14.許可申請と届出の問題
15.事故処理における責任者は、その管理区域ごとに選任する。:×
16.線源の紛失、行方不明となることの要因で正しいものはいくつあるか。
17.1m離れた位置で10μSv/hの60Coを1cmの位置で測定するのに適したサーベイメータは何か。
18.特別型運搬物とは、特別な形状の運搬物である。:×
19.安全遮蔽の自主点検項目は、シャッタ/ホルダ/接続部分/位置調整。
20.エネルギー校正した後の60Coの線量は13μSv/hだった。電離箱、GM計数管式、NaI式シンチレータで測定したときの指示値は、いくつだった。16、12、13μSv/hをそれぞれのサーベイメータに当て嵌めよ。

詳細は、もっと細かいが、だいたい上記の内容でした。

2009年7月9日木曜日

第2種放射線取扱主任者講習二日目

を終了した。
放射線安全管理の基本と密封放射性同位元素の取扱をかなり急ぎ足での講義を受けた。137Csを使った液面レベル計の測定実習や90Srと204Tlを使ったβ線の遮蔽実験の実習が続く。SrやTlは、カウントで数えるだけなので、どの程度の数量なのか実感できず、一寸こわい感じが伴う。仕事で使っているけれど、普段からなるべく近づきたくない線源の一種だね。

昨日の実習レポートのまとめを今朝提出し、すんなりパスしたのは、15名中3名のみ。私も含めて残りの人は全員再提出。とは言っても、どこが間違っているか付箋で教えてくれているので、内容を理解すれば、すぐに出来上がる様になっていたらしい。

因みに私の場合は、サーベイメータの測定レンジを転記間違いしたと言うおマヌケなミスを指摘されていた。折り返しを過ぎ、明日は終了試験。テキストを読み返すと今頃になって新しい発見があったりするのだが、大丈夫かぁ、俺!?

長いこと電車に乗って、久しぶりの頭を使って、なんだかヘトヘトの気分。大丈夫かぁ、俺!?

ちょっと、困ったもんである。

2009年7月8日水曜日

第2種放射線取扱主任者講習

をひょんなことから受けることにした。

講習会の初日となる本日は、水曜日。夏休みの折り返し点だ。
思えば、放射線取扱主任者試験を受けたのは7年も前のこと。この試験は、試験に合格しても、講習を受けて実技をこなさないと、免状が貰えない。当時は、確か当時の東海村長堀のあたりまで出掛けないと講習会が受けられなかった様に記憶している。

夏休みをニューカレドニアくんだりまで行って、ひねもす試験勉強していたことが思い起こされる。それほど、勉強したのに、1種には受からなかった。で、"青春をこれ以上費やすのはもう嫌だぁ"って2種を取ったところで、放ってしまっていたのだ。

それが、今頃、ひょんなきっかけで...。
先週、ホームページを見てみると、第5回目の講習が今週あることが分かり、申し込んでみた。大急ぎで写真を撮ったり、受験申請書を作ったり...、優しい職員の方が対応してくれて、受講が可能になったのだが、今日からの講習案内が届いたのは、実に昨日。

関数電卓が要る、ってんで早起きして会社に立ち寄り、電卓を抱えて会場に向かったのだぁ。場所は、都営三田線の白山駅に近い(財)原子力安全技術センター。
今回講習に集まったのは、15名。普段は36名ほどだそうなので、1/2に満たない。でも20名くらいがやりやすいのだそうだ。

さて、講習1日目の内容は...、
先ず、軽い質問が講師から飛ぶ。7年も前で復習して無いもんだから、いきなり分からないぞぉ。
曰く「α線は、空気中に飛び出したらどうなりますかぁ?」
曰く「β線は、どこから出てきますかぁ?」
曰く「NaI(Tl)のタリウムは何で入っていますかぁ?」

それぞれ答えは、ヘリウムガス、中性子(n→p+e(-)+υ(-))、アクチベータとして可視発光させるため、てな具合になる。
*.「β-壊変で中性子が陽子と電子と反ニュートリノになって原子番号が1大きくなる」、なんて話は、記憶のはるか彼方にしまい忘れられている。

こんな調子だから、講習の内容も結構難しく感じてしまうのだぁ。講師の人たちが優しく手取り足取り教えてくれるので、何とか講義にも付いていける感じだが、初日から大変だ。

午後は、3種の実習+レポート試験。提出課題は、コバルト60を用いた1cm線量当量率の測定と得られた結果の考察だ。

3種の実習は、以下の通り。
 1)サーベイメータの特性実習
 2)γ線の遮蔽実習
 3)1cm線量当量率の測定

提出課題を簡単に紹介すると以下の様になるのさぁ。
 (間違っているかも知れないしぃ、模範解答では無ぁいので、参考まで)
1)使用線源の数量計算
 Q=Q0×e^(-λ×t)
 Q:求める当日の数量(MBq)
 Q0:検定日の数量(MBq)
 λ:壊変定数 0.693/T (60Coの半減期は5.271年)
 t:経過日数
 2006年3月22日に74MBqだったので、本日までに1203日経過し、48MBq

2)線量当量率への変換
 D=Γ×Q/d^2
 D:線量率(μSv/h)
 Q:本日の数量(MBq)
 Γ:1cm線量当量率定数:(0.354μSv/h/MBq・m^2)
 d:線源からの距離(m)
 で、計算すると
 1m線量当量率は、16.98μSv/h
 5m線量当量率は、0.68μSv/h

3)GM計数管式サーベイメータを使って線量当量率の測定
 a.コバルト60から少しづつ距離を変えたときの測定値を二人で測った値を平均---①
 b.あらかじめ測っておいたバックグランド値を①から引く---②
 c.校正定数(コバルト60の一次線をCsで校正した値として0.8を設定)を②に積算---③
 d.③により得られた線量当量率を両対数グラフにプロット。
 で、グラフに書いてみると、計算値よりも実測線量は大きいが、ほぼ距離の自乗則に反比例したリニアな線が引ける。

4)境界線の算出
 線源の使用時間を40h/週として常時立入場所境界線と管理区域境界線を求める。
 a.常時立入場所境界線(1MsV/w):1mSv/w→25μSv/h 実測グラフから求めると90cm程度だった。
 b.管理区域境界線(1.3mSv/3月):1.3mSv/3月→2.5μSv/h 実測グラフから求めると2.9m程度だった。
 *.3ヶ月を13週として計算

5)考察
 ①グラフから実測値も距離の自乗に反比例する様子が分かるので、自乗則に従うとする考え方は正しい。
 ②実測値が理論値よりも大きな線量を得るひとつの理由は、γ線の散乱線の寄与が考えられ、距離が遠くなるほど散乱線を検知する割合が高くなるためと考えられる。
 ③測定に用いたGM計数管式サーベイメータは、コバルト60の一次線のみでエネルギー校正されているが、多重散乱による低エネルギー側での校正がされていない。このことも実測値が大きく観測される理由のひとつと考えられる。

提出課題のレポート内容は、以上のような按配だ。おんなじこと書いて試験に通らなくても、某を責めない様にぃ...。

さて、気になる講習費用だが、これがなんと、¥112,500なり。住民票を取ったり、写真を撮ったり、収入印紙に郵送代に交通費...。もろもろ含めると12万円近い。
仕事に使うことが目的ではないので、今回は自腹。僅かばかりでも、ボーナスが出たおかげで、今回は凌げそうだ。

松葉杖を使いながらも、何とか講習も受けられるようになって、あと二日がんばれそうかな。
めでとし、めでとし。

2009年7月7日火曜日

石川先生登場

石川先生が井の頭公園の脇に越してきた。
ようこそ、三鷹市へ。

整理用に用意した板材が大きく、難儀していると言うので、のこぎりをお貸しすることにした。お貸しするついでに我が家に遊びに来ていただくことにして、そのさらについでに、ランチをご一緒することにした。

妻が我が家に居ると、散らかっていると言っても、人を呼ぶことができるのは、幸いだ。
真昼間からビールを片手にお粗末なランチでも他愛の無い会話と共に飲み食いするのは、贅沢な気分だ。

先生には、のこぎりのついでにジグソーもお貸しすることにしたので、きっとバリバリ捗ることでしょう。暑い夏の日の午後の寛ぎタイム!

めでとし、めでとし。

2009年7月6日月曜日

腰痛日誌7/6(月)

一足早い夏休みに突入した。
のだが、冷静に考えてみると、私が居ない間の仕事をちゃんと、受け渡せていなかった。
ので、午前中のみ出社することにした。
何とか、むりくり残務を仕事をお願いすると、その足で、立川への向かった。

柳下のおじぃちゃんの治療を受けるためだ。1時頃に着いて、おにぎりを食べ始める頃には、お昼休みに突入。着いた時間には20人ほどの患者さんが待合室に。

その後も少しづつ、患者さんが増え、お子さんの優先割り込みが入ると、なんと番が回ってきたのは6時頃。5時間の待ち時間は、さすがに堪える。物理的なお尻の痛さが結構増してきていた。

それでも、この所のしっかりした回復感には、随分役立っている気がする。で、おじぃちゃんに質問してみた。
「今月中には、スタスタ歩けるようになりそうな気分ですが、どう思われますか。」
「そろそろ、なっても良いねぇ、ただ、生きてる人間の体はどうなるか分かり難いからねぇ。天気予報よりも難しいねぇ。」
若干、頼り無げにも聞こえる、お答えだが、まぁ、結構良い状態になっているらしい。なかなか抜け難い張りが残っているのは事実だが、"うっ"とか言う痛みもほとんど出ることがなくなってきているのは、気持ちが晴れやかだ。

この種の病に目標を定めるのは禁忌の様だが、今月中には松葉杖に頼らずに済みそうになる予感。当たると良いねぇ。

めでとし、めでとし。

2009年7月5日日曜日

腰痛日誌7/5(日)

昨年の第1日曜日に、兄上の車で小岩の病院から退院してきた。
七夕の前日に退院してきたので、退院してから今日で丸々1年が経過する。

初日は、退院したことを素直に喜んでいたが、汗だくの暑い夏を呻いて過ごす長い闘病生活の始まりだったのが思い出される。

あの頃でも、こんなにも長患いになるとも思いもしなかったが、なんとなくフラフラしていると何となくも直っていくものなのだなと感じる。

もちろん、何にも治療をしなかったら、どうなっていたのか分からない。でも、何もせず放っておいても治ってきたのかも知れない、とも思えるのだ。この1年随分色々な治療を試してきたが、どれほど回復短縮に役立ったのかは、基準が無いので良く分からない。
治療のおかげで、動ける気分になって、動き過ぎて、ぶり返したり停滞したりしていたのかも知れない、とも思うことがある。

何もせず、ただ手をこまねいている事ができない性格なので、今の状態は"これで良し"なのだが、「椎間板ヘルニアは、きっと無理をしなければ手をこまねいていても直る」気がするのは、何となくも収穫だ。

なんだかんだと、周りにいっぱい迷惑を掛けながら、助力を得て、ここまで来れた事を1年目の今日は喜ぶことにしましょう。

めでとし、めでとし。

2009年7月4日土曜日

姫のお見舞い

へと足を運んだ。
恵比寿での治療を終え、日比谷線に乗って、姫の居る築地聖路加国際病院へ。

ご母堂が見守る中、姫はすやすやと寝息を立てていた。薬疹が出たりして、ずいぶんとむずがっていた様だが、少し落ち着いてきている様子。最早、食が細くなっているだけではなく、経口補水も、ままならないらしい。
病室は、静かにゆっくりと時が流れているだけのようだが、介護するご母堂には疲れの様子が色濃い。姫にもとっとと回復してほしいものだが、周りの人たちにもより元気に過ごして欲しいものだ。

という訳で、今回の"元気付けグッズ"は、"アミノバイタルタブレット"!!
といっても、姫が摂れるわけではないので、看病する人向け。残業時間になってヘロヘロした気分になったときにこんなもので少し元気になった記憶があるのを思い出していた。
気休め程度にでもなってくれれば幸いなのであ~るぅ。

2009年7月3日金曜日

腰痛日誌7/3(金) 数えて404日

新しい仲間を迎えての歓迎会が執り行われた。
今回は、会場が職場の近くなので、腰にも優しい。ちょっと、忙しくなってきたせいなのか、調子付いて体を使っているせいなのか、このところ、また夜半になって足の攣ることが増えてきた。

いわゆる"こむら返り"ではなく、足の甲とふくらはぎの表側がゆっくりと痙攣する。さして冷えている感覚も無いが、マイクロ波で腰を暖めると収まっていくので、血流が悪くなっていることが原因の様でもある。

普通に運動強化ができれば、良いのだろうが、かばってばかりいると、なかなか、そんな方向にも進めない。まぁ、それでも控え気味ではあるが、仲間と一緒にお酒を飲んで楽しめるようになってきているだけでもずいぶんマシというものか。

まったく困ったもんである。

2009年7月1日水曜日

新しい仲間

が職場にやってきた。
会社は、「集中と選択」の名のもとにかなりドラスティックな人員の再配置を行っている。今回は、社の中でも特別な精鋭部隊と目されてきた人たちが6人やってきた。

そして、私とゴクミがこの部隊に加わり、総勢8名のZeus隊が結成されることになったのだぁ。思えば、今から10年も前に描いていたシナリオが、Zeus隊で実現できるかもしれないと思うと、ちょっとワクワクした気分が醸し出されてしまう。

何も細工していなかったところからの出発なので、この先どうなることか、危ぶまれることも多いが、先ずは「めでとし、めでとし。」なのであるぅのだぁ。

2009年6月30日火曜日

イーサンの送別会

に出席した。

治療で少々遅れての出席。イーサンは、派遣社員さんで、一度空白期間があって、再び一緒に働き始めてもらった仲間だ。このところの景気の悪化のために、契約満了とともに派遣社員さんにやめてもらう事例が増えているが、彼にもその余波が及んでしまった。

一緒に働いていたこの数年あまりの間にフレーム設計やMX計、MC計と様々なメカ設計をお願いしてきた。もう一息で製品化という所でのお別れで、心残りの様子が良く分かる。

それでも、「二度あることは三度ある。」の諺通り、また一緒に働けるような時が訪れて欲しいものだ。一生懸命働いていただいたので、しばしの良い休息になってくれればなぁ、と願うばかりである。

腰痛日誌6/30(火)

一時帰休を利用して、立川に通院。
午前中は、雨降りだったので、お部屋で失せ物探し。早めのお昼ご飯を食べて2時頃には、到着して待合室には15人程。4時間程でやっと順番が巡ってきた。空いているだろうと踏んでいたが、どんどん患者さんが集まってくる。18時過ぎから吉祥寺で歓送会があったのだが、少し遅刻をしてしまった。
飲み過ぎは、禁物だが、何となくも、宴会も楽しめる様になってきて、めでとし、めでとし。

*.失せ物は、部屋中引っ掻き回して見つける事ができました。

2009年6月29日月曜日

腰痛日誌6/29(月) 数えて400日

久しぶりに2時間半ほどの残業をした。
なんとなくせわしく過ごし、ヘロヘロな感じになってしまった。

すると、何だか腰と足の調子が変だ。重いものを持ったわけでもなく、立ち仕事をした訳でもない。
どうやら、家でゆったりしていると調子が良いのだが、会社でせわしなくすると、腰痛のトリガになるらしい。

そう言えば、「腰痛は怒りである」なんて本があったっけ。

まったく困ったもんである。

2009年6月28日日曜日

あっきの奨学金日本学生支援機構

の保証人となった。

あっきは、今米国でパイロットを目指して頑張っている。軽飛行機の試験に合格し、少し大きな飛行機を操縦できるようになったらしい。彼の頑張りを応援する気持ちで、はんこを押したのだが、借入先は聞いたことのない名前。

「独立行政法人 日本学生支援機構」という法人が貸してくれるらしい。調べてみると、「日本育英会、財団法人日本国際教育協会、財団法人内外学生センター、財団法人国際学友会、財団法人関西国際学友会が合併し、2004年4月1日に設立された」ものらしい。

私も育英会から、ずいぶん大きな借金をして勉学をさせてもらった。会社に入って間もない頃に年額20万円弱の返済は、すべてボーナスからの補填だった記憶がある。あの頃は、無利息で借りることができて、且つ、残高を一括返済すると報奨金が戻ってくるなんて、大盤振る舞いな制度もあったっけ。

今は、借りられる間口が広がった分利息も3%ほどと結構高いらしい。それでも、学生にとって奨学金が有難いのは今も昔も変わらないことでしょう。

頑張れあっき!めでとし、めでとし。

ストライダで散歩

に出掛けてみた。

散歩先は、近所のオートバックス。単車のバッテリーに自作のパルスチャージャーで充電を始めているが、電解液が少々不足している。そこで、強化補水液を買いに出掛けてみた。

自転車は漕げるが、僅かに左足の脛に違和感が走る。この違和感は、あまり宜しくない感触だ。何事もなく帰っては来れたのだが、自転車はもう暫く自重した方が良いのかも知れない。

まったく困ったもんである。

2009年6月27日土曜日

腰痛日誌6/27(土)

少々、眠い目を我慢して起き出し、立川に通院だ。

今週は、二日半を研修に充てた事もあって、久々に五日間のフル出勤。腰にちょっと怪しそうな気配を感じる事もあったが、概ね順調だ。

只、間が空くと、不調の手前に行く感覚が多くなるのは、困ったもんである。

このところ、空いていることが多かったのだが、今日は最初から待合室は芋洗い部屋の様相。子供達も続々現れ、中々順番は回ってこない。空調はパワー負けしているのか、患者さんの汗の匂いが鼻を突き続ける。

土曜を待ちわびた雰囲気のお父さんも何人か見受けられるし、家族同伴の方々も多い。一見、健常者に見える人達の中にも病んでいる人達が多いと言う事なのだろうか。

お昼休みを挟んで午後の治療を覚悟したが、先生は20分程の休憩で戻ってきてしまった。お陰で昼過ぎ暫しにて、治療終了。全く柳下のおじいちゃんには頭が下がる。こんな調子だから、どんどん患者さんが増えちゃうんだろうなぁ。

治療が終わると、今回は左足の痺れがチリチリと強い。正座した後に、急に血行が良くなった時の様な案配だ。良い治療が行われた証拠でしょう。
めでとし、めでとし。

2009年6月26日金曜日

あとりえ日月(ひつき)

と言う、妻のアトリエ名称が決まった。

↑ロゴを考えてみたが、却下されてしまったぁ

そろりそろりと始動準備。
めでとし、めでとし。

2009年6月24日水曜日

Refresh&Challenge研修

と言うプログラムに参加してきた。
これは、勤め先で正規に計画されている研修だ。ある一定の年齢を迎えると、「その節目に色々考えて見なさい」と言うお節介ながらも心優しい気遣いで催されている。

10年ほど前にも、同様のプログラムがあって、色々考えさせられることがあった。今回のプログラムでも健康管理の話や確定拠出年金の話に続き、セカンドライフをどう過ごすかと言う話がメインになっていた。

仕事をして定年を迎えたとすると、その後の自由時間と仕事をしてきた時間は、その時点で同等になるのだそうだ。こんな話から始まり、仕事と生活のキャリア開発、経済プランまでご丁寧に解説していただいた。講師は、中高年齢者雇用福祉協会の青木羊耳さん。政治評論家の三宅久之に似た風貌で落語家のような喋りの元気なおじいさんだ。

これまで、独立採算制でお互い気ままに夢の実現に突っ走ってきた我が家だが、そろそろ家計と言うバックボーンを含めた中長期の生活設計構想をまじめに考えた方が良いようだ。この場ではお披露目できないが、便利そうなライフプラン設計シートも見せていただいて、ツールも活用しながら計画を検討できそうだ。

老後には、まだ少々早いが、種々のプランを練る時間を作って見たいと思った次第。
めでとし、めでとし。

2009年6月23日火曜日

初夏の夜なべをタカーチ弦楽四重奏団と共に

過ごすのは、贅沢な感じだ。

仕事が終わった後に妻と待ち合わせて、武蔵野市民文化会館小ホールに足を運んだ。コンサートは、知らない曲ばかりだが、椅子の上で踊るような演奏をするバイオリニストが見た目も華やかにする。
アンコール曲は、バルトークの「弦楽四重奏曲第四楽章第4番」と狙ったような曲目だが、四重奏の全てで弦を爪弾く興味深い演奏だった。


数ヶ月前に予約した折には、なんら問題なく鑑賞できる体に復帰しているだろうと、思っていたが、いまだに松葉杖。それでも、窮屈な椅子でコンサートを楽しむ程度の時間は耐えられるようになってきているらしい。ただ、三鷹駅までの約1kmほどは、思いのほか遠く、松葉杖をもってしても1kmほどを歩くには、まだ少々無理がある様子だ。

まぁ、ことなげに、夜なべを楽しめるようになってきたことを素直に喜ぼう。
めでとし、めでとし。

2009年6月20日土曜日

姫のお見舞い

の四日目。
午前中に恵比寿で治療を受け、その足で姫の入院する聖路加国際病院に向かった。

今回の"元気付けアイテム"は、【美豊泉】。
しばらく前に、注文して昨日届いたものだ。前から試してみたいと思っていたゲルマニウム水。姫の入院をきっかけにあちこち調べて見て引っかかったのが、これ。
日本版ルルドの水とも評され、色々な病が治ったとのコメントもちらほら。"天然クロレラの温泉水"と記されていて、ゲルマニウム含有であることは、成分表を見なければ分からないほど控えめな記載。

持っていく前に、飲んでみると、これが...、「のどの渇きを癒せない。」つつつ..とのどに入ってのどにも胃袋にも重さが無い。なのに、体はもっともっとと欲しがる感じ。それにほのかな甘さすら感じる。こんな水は、これまで飲んだことが無い。

この感触は、効く効かないは別として、とても美味しいので、かなりオススメできる。我が家のお取り寄せ定番にも加わってしまいそうだ。

↑今回元気付けに用意した美豊泉。とてもうまい!

病院では、早速手にとって口に運んでくれた。あまりにも元気良く飲み込もうとしてむせかえってしまったが、気に入ってもらえた様子だ。これで、姫もとっとと元気になってくれることを祈ろう!

めでとし、めでとし。

参考までに、美豊泉の取り扱いリンクを貼っておきましょう。
 池田建設 温泉事業部

2009年6月17日水曜日

姫の見舞い

に妻と出掛けた。
立川での針治療に続き、一旦吉祥寺で休憩後に築地へと向かう。

病院では、息子のまー君が姫のベッドに乗って、アンパンマンで無邪気に遊んでいる。
2回目に訪れた時には、少し持ち直している感じがあったが、今日は声を発するのも億劫な様子だ。反応は早いので、話している内容は、しっかりと理解できているのだと思うが、体を蝕まれて、痛みが抜けないのだろう。痰も切れずに難儀している様子だ。

今回の元気付けアイテムは、デジタルフォトフレーム。本を読むのも難儀な様子で音楽もうるさかったりする様子なので、邪魔にならないアイテムを用意した。旦那さんはプロカメラマンなので、きっと元気の出る写真を用意してくれることでしょう。
↑サンヨー製の小振りなフォトフレーム

我が家のリビングにあるフォトフレームも毎晩定時になるとスライドショーが始まり、お気に入りのアクセントになっているので、気に入ってもらえると嬉しいのだが...。

頑張れ!姫。息子達も待ってるぞぉ。

腰痛日誌6/17(水) 数えて388日

少し、寝坊気味で起き出し、柳下針院に向かった。着いた頃は8時を回っていたが、待合室には8人程。昨日は随分混み合っていたそうで8時に来た人の終わったのが3時だったそうな。今日はラッキーらしい。治療が終わったのも10時前と最速記録更新だ。
歩きも随分軽くなってきて、痛みは柔らかな圧迫痛といったところに変わってきている。加えて、左足だけ重い大気の中を動かしているような拘束感がある。
先生に「そろそろ、どんどん歩いて良い頃でしょうか?」と尋ねると、「どんどん歩くには、未だ早いなぁ。」との事。
でも、少しづつとはいえ、体が使い易くなってきているのは嬉しい限り。

めでとし、めでとし。

2009年6月16日火曜日

切手だらけのお届け物

があった。
ちょっとビックリ!

↑包装の回り中にびっしりと貼られた切手

めでとし、めでとし。

2009年6月15日月曜日

6月のコモパン

が届いた。

↑サマーコモパンのセット

夏みかん小町、はちみつレモン、アップル、夕張メロン、オレンジの詰め合わせ♪
爽やかな香りが夏向きだぁ~。

めでとし、めでとし。

2009年6月14日日曜日

ピエトロのドレッシング

が届いた。

↑スパゲッティードレッシングが新しい

お気に入りのピエトロドレッシング。嬉しいお届け物。
めでとし、めでとし。

2009年6月13日土曜日

姫とのデート

に出掛けた。

姫は、暫く前から聖路加国際病院に入院している。

暫く前から、車椅子で生活しているとの噂を聞いていた。1週間ほど前から調子を崩して、緊急入院したらしい。先日、妻が見舞ってきたときには、ゆっくりと、一生懸命話をしていたそうだが、「安心した」と言っていた。
病院では、頷いたり、体を動かしたりはするのだが、すべての動作に痛みを伴って辛そうだ。
カラカラと"打てば響く"はずの姫がそうでないと言うのは悲しい。

↑ソムリエのような人たちが受付していたりとホテルみたいな病院だ。

"無さるるに 掉ささば 為すがまま "

なんて書いて置いてきた。
「色々と世の中、意にそぐわない事は多いが、それを逆手に取ったり、うまく受け流したりして、そのついでに、少し思いを込めて方向付けをしてあげれば、思い通りにコトが運んだりする。」ってな意味合いの勇気付けのつもり...。

頑張り屋の姫のこと、毎日の中で、きっと無理し過ぎたんだろうな、と思う。
病人同士、どっちが見舞い何だか分からない気もするが、とっとと元気で"打てば響く"姫に戻って欲しいものだ。

腰痛日誌6/13(土)

今週前半は、下降線気味だったが、何となく昨日辺りから持ち直しつつある。
ビタミンB12誘導体が効いているのか、ベルサッサを心掛けているのが効いているのか…。

何にしても、この回復感を踏み代にしたい。そこで、定例となりつつある柳下針院に早起きして出掛ける事にした。
眠さにふらつきながら、妻が朝食を用意してくれる。早い朝にオーソドックスな和食は、何だか贅沢だ。
やや混雑する特快に乗って、柳下針院には7時過ぎに到着。先客は20人を越える。朝から沢山の人出だが、その後の増え方はポツリポツリ。も少し、ゆっくりでも良かったのかな。

で、今日の治療は、右側が重点的。左側のお尻には全く針が触れない。これまでも深い針は、想像と全く異なる場所であることが珍しくなかったが、今日の意外性はまた格別。
まぁ、その時々で最適化されていると言う事なのだろう。めでとし、めでとし。

2009年6月12日金曜日

コロワイドの株主総会

に妻が行ってきてくれた。

↑お土産のクッキー詰め合わせ♪

会社を辞めると出不精になりがちなので、こんな機会に出掛けてもらうのも良いようだ。
めでとし、めでとし。

2009年6月10日水曜日

買取・廃棄のステッカー

が屋根付きスクータに貼られていた。

速攻で引っ剥がしたら、塗装まで剥がれちまったぃ。
カバーを掛けてはいるが、しょっちゅう風で飛んでしまい、この一年の半分以上は野ざらし状態になっているのだろう。中華品質も相まって、塗装の劣化も甚だし~い。

そんなところに、ステッカーを貼り付けられたものだから、しっかりと塗装が持ってかれた様子だ。仕方ないと言えば仕方ないのだろうが、1年も乗れない体になって、再度の起動を楽しみにしてるだけに、腹立たしさも甚だしい。

久し振りに腹の虫が収まらない...買取業者にクレームの電話を入れた。
ひどく恐縮した様子で謝ってくれたので、ひとまずOKだが、改めて詫び入れに来てくれるとの事。でも、元を正せばこの中華品質が諸悪の根源なのかもしれない。

全く困ったもんである。

腰痛日誌6/10(水)

本日も一時帰休。
という事は、通院日。と言うことにほとんど自動的になってしまっている。今日向かったのは、恵比寿治療院。朝方に足が攣って痛かったせいもあるのか、今日は調子が少し悪い。

歩くと、ここ暫くの中では痛みが強く出る。治療中も腹屈で左臀部から踝にかけて久し振りのしっかりした痛みが出てきた。体の調子は良くなってきているそうだが、中々きっちりとした回復感を伴わないところに、不安定な感じがある。

若干の下降感について理由を考えてみた。
・ちょっと調子に乗っているかも。
 会社でもコピーを取りに席を立つのでさえ、嫌がっていたのが、最近はひょこひょこ歩いている。
・雨の日は若干調子悪いし、歩き難くて疲れる。
・先週末にビタミンB12誘導体が切れて、そのまま放っていた。

で対策。
・調子に乗りすぎないよう先ずはベルサッサを心掛けましょう。
・加藤整形外科でメチコバールの処方箋を貰い、くるみ薬局で購入。
・近所のシュープラザで靴を購入。いつの間にやら底抜けて雨漏りしてたからね。

さて、これらの対策は有効か否か。細工は流々!?

めでとし、めでとし。

二酸化炭素等温室ガス排出権取引付き電気器具の勧め

予め、LED電球だの蛍光灯には、白熱電球等から交換したら排出権取引ができるような仕組みを作っておけば良いんだよね。

排出量取引交換券とか入れておいて、パンピーが日々の消費の中で排出権を簡単に取引できるようにすれば、結構な"塵ツモ"になるのではないかなぁ。

で、こういうところにこそ、エコポイントの出番なのではないか、なんて思ったりすんだよねぇ。思想は似ているのかもしれないけれど、節電電化製品のエコポイント対応終了後は、考えてみても良いのでは。京都議定書の目標にも貢献するでしょうし。

自治体レベルでも始めてみちゃぁ如何でしょうかねぇ、指導者の皆様。

めでとし、めでとし。

2009年6月6日土曜日

ハウスからのお届け物

が届いた。


↑美味しそうな株主優待のセット

妻に感謝だね♪
めでとし、めでとし。

腰痛日誌6/6(土) 一白会菊池脳神経外科整形外科

に、出掛けた。

前回3週間分の薬を処方してもらっていたが、3週もあっという間に過ぎてしまう。ここで処方してもらった漢方薬に立川の針治療、恵比寿の理学療法とどれが効いているのか分からないが、夜中の足攣りも少なくなってきているし、徐々には回復傾向♪。

雨が小降りになるのを待って、愛機ストライダでお出掛け。医院はストライダで20分ほど。でも、結構遠く感じる。
今回は、ずっと同じ薬を続けるのが良いのか、診察をしてもらった。先生も症状を聞きながら、しばし、お悩みの様子。結果、ちょっとだけ異なる処方となった。
 1.アコニンサン錠(食後)
 2.芍薬甘草湯(就寝前)
 3.五積散(食間) ← 疎経活血湯から変更

バスと電車を使って三角形の2辺を通っていくのと、自転車で残りの1辺を通っていくのでは、後者が圧倒的に楽チンだ。といっても、何だか疲れてしまうのは、体力が落ちているせいだろう。疲れて眠くなってうたた寝を貪る。

しっかり、薬も飲んで、とっとと良くなりましょう!
めでとし、めでとし。

2009年6月4日木曜日

腰痛日誌6/4(木)

ストライダ・チャレンジ!
そろそろ、自転車に乗れる体になってきているのを感じて、自転車での帰宅を試みることにした。
2ヶ月間、会社の駐輪場に置きっ放しだったストライダは、二人羽織式タイヤやTIOGAのチューブのお陰かエアも抜けていない。

松葉杖を2本まとめて背中に背負い、帰途についた。
↑松葉杖はこんな感じで背負うのだぁ!

歩いて40分ほどの道のりはストライダでは20分ほど。2ヶ月も乗っていないと体が慣れていないのだろう。痛みは出ないものの、筋肉疲労は著しい。バス通勤ってのは楽なのだと、改めて思った次第。

自転車通勤も今月にはそこそこできるようになろう。

先ずは、めでとし、めでとし。

2009年6月3日水曜日

腰痛日誌6月3日(水)

少々、眠さの残る中、今日も5時起き。バスと電車で立川に向かう。7時を少し過ぎた頃に柳下針院に到着。今日は、15番目程。駅から松葉杖を頼りながら歩いてみた。少しづつ、突っ張りと弱い痛みは出てくるものの、1週間前に比べれば幾分マシな雰囲気だ。

途中、2人程、子供が優先されて治療終了は、11時ちょっと前程。
「走り回れるのはいつでしょうねぇ」
「走り回るって言うと全快だねぇ。」
「未だ、見えませんかぁ」
「お尻の左側の筋肉が痩せてしまっているんだが、これが戻らないとねぇ。そんな簡単じゃないなぁ。」
って事だそうだ。

今日は、テーブルチェアに座れた事と幾分空き気味だった事も手伝って、待ち時間も比較的楽に過ごせた。

帰り道も駅迄、歩くと、そろそろと痛みが這い出し、ゆるゆると辛さを感じる。

ゆっくりでも治っていくのは、嬉しいが、逆転一発ホームランも期待したいもの。

めでとし、めでとし。