2009年10月5日月曜日

姫の告別式

に出席させていただいた。

↑妻が茶を一服供えた。「のど渇いていて欲しかったんだぁ」って言ってくれたかな。

昨日の通夜に続き、教会でのお別れの式となる。泣鳴する人も少なくない。
中でも妹さんの悲しみの様子は、胸を突く。大の仲良しだった妹さんは、姫が入院して程なく彼女の看病のために会社を辞め、姉のために処方を聞いたり、色々と調べ物をしたりして姫の回復に尽力していた。それでもなお、彼女の悲しみの表情には、無念の思いが滲んでいるように感じられた。

そこには、"もっとほかにも色々手を尽くせたのではないか、出来ることはほかにもあったのではないか、もしかしたら別の結末があったのではないか"と言う最後まで諦めることのなかった様子なのかと思う。それが惜念の想いに繋がっているのかと。

確かに私にしても、姫の療養に対してベストを尽くしていなかった想いがあるのは事実だ。今の病院が最適なのか、もっと良い治療法は無いのか、等々色々調べ物をしたのは事実であり、その中でもっとほかにも出来ることがあったのは事実だ。しかし、身内でない私が強く進言するには憚るものがあったし、そこまでしなくとも復帰できる予感もしていた。

言い訳をする訳ではないが、だからこそ妹さんには、こんな想いを伝えたいと思う。"一つ一つの積み重ねはベストではないかもしれないが、ベターの積み重ねがベストになる"のだと。

それは、逝ってしまった姫こそに無念の想いしきりと思うが、ベターとベストを重ねて生きた骨太の人生にこそ最高の輝きがあったのだと御霊を称えたい。
南無。

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