なる本を読んでみてのう。
サブタイトルには、"1500語で通じる脅威の英語術"とあり、この言葉に誘われた様なもんでもある。
グロービッシュは、エスペラント語さながらに世界共通語を目指す事を目的に、英語に使い易い制約を掛けて共通ルールを明確化したものの様であるのう。
エスペラントが流行らなかったのには、あまりにも話す人口が少な過ぎるのと、似通う言葉が少な過ぎると言う決定的な弱点があったが、グロービッシュは少なくとも基本が英語で構成されておる点が大いに異なるところであろう。
英語ネイティブがそのままではグロービッシュを使うことはできぬ。なれど、グロービッシュのレギュレーションを知れば、その瞬間から使えるようになってしまう辺りは、たいそうなアドバンテージを持っていると言えよう。それは、あたかも大きな単車の運転が出来る人が、カジュアルな自転車に礼儀正しく乗ることに似ておる。単車ほどに早くなく、それほど短時間に遠くに行く事はできないが、使い勝手は良く、仲間との共有も優しい。
"新しい"と言うほどの考え方ではないのかも知れぬが、理に適ったアプローチであろう。共通言語としての枠組が簡単であれば、これまで散々っぱら苦労してきた英語(*1)にも親近感を幾ばくか増そうというもの。
本の内容は、左ページにグロービッシュで書かれた内容が右ページに訳されて記載されておる。今般は、時間の都合もあり、和文にての読了であったが、非常に読み易いのは、原文がそれだけ平易な構成となっておるからであろう。
であるならば、グロービッシュに相当する各国語を規定するならば、より多くの人々との理解も進み易いのではなかろうかのう。ある程度グロービッシュによる共通言語の枠組が進んだなら、グロービッシュを元としてローカライズしたローカリッシュなる各国の言語規約が出来上がっても良かろう。
簡単な規約が定まって多くの国や文化の言語に近付き易くなれるならば、この上なく嬉しかろうのう。
めでとし、めでとし。
*1.
・中学時代:毎日の宿題で毎回辞書と睨めっこしながら訳を作っておった。挿絵まで和訳と称して和っぽくノートに書き込んでおったのう。
・高校時代:いくら勉強しても赤点程度の低空飛行を続け、英語が嫌いになった頃であったかのう。
・大学時代:武術を通じて日本に住まう外国の人々と接する機会が恵まれた事がモチベーションに繋がる時期であったやも知れぬ。ドライブ中に本気で英会話を続けようとするとハンドル操作が疎かになると知ったのもこの頃であろう。
・修士時代:原研でひと夏を過した折に、各国のトップレベルの人々が集まっておるミーティングと言うのを目の当たりにしたのは衝撃的であったのう。喋る人の使う言葉によって会議の言葉が英語になったり、日本語になったり、フランス語!?になったり。全て、普段その人が使うておる言い回しと抑揚そのもので多言語を当たり前に喋る人々を前に、逆立ちしても敵わぬ思いを抱いた頃であった。
・社会人初期:約1年分のボーナスを英会話学校に注ぎ込んでみたが、どれほど効果があったろうか。
・社会人中期:ロスに住まうロシア系アメリカ人mishaの元に1週間留学を行なったのは、収穫があったのう。教養人から文化と共に語学を学ぶと言うのは、良いものであろう。その影響もあって富士山麓の英語村に赴いた事もあるが、こちらは期間のせいもあってか、伸びを実感できるには至らなんだのう。
・社会人後期:時間も無く、ひとまずヒアリングをと、毎日の様に睡眠学習!?と通勤聴講を行なうも、この半年ほどの間に効果は見えぬのう。
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