2011年8月25日木曜日

これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学

なる本を読んでみてのう。

文字が小さく、内容が濃いので、中々読み進まなんだ。もっとも、同時に3冊も借り出してしもうたのもいけなかったのう。



三鷹図書館においては、次なる予約者がおると、延長が出来ぬ仕組みゆえ、途中まで読み進んだところで、返却せねばならぬ状況となってしもうた。

第4章までの4割ほどしか読めず、それ以降は、かなりの飛ばし読みとなってしもうたが、それでも、考えさせられる内容の多い本ではあったのう。

幼少期に触れたテレビ番組には、善悪がしっかりと分かれた勧善懲悪が多かったのも事実だが、危機的な状況で究極の選択を迫る点ではこの本に通ずる内容を盛り込んだものも多かったように感ずるのう。

例えば、この本の例にある「ブレーキの効かぬ電車に乗って、線路の先に居る5人の作業員を轢き殺すか、分岐点で進路を変えて1人の作業者を轢き殺すか」と言う問いにあっては、車掌自らが、飛び降り轢かれるかして、他の人々を救うと言う究極的な自己犠牲を尊ぶと言うシチュエーションが多かった様に感ずる。

近年では、種々の問題の複雑化と異文化を取り込む中での文化多様性に目を向けた結果、善悪が判別し難く、"概ねどれも良し。主が判断せい"と言う構えを取る例が増えておる気がするのう。

斯様に"正義"とは文化と思想に根差す故、物理則や数式化手段に落とし込むこと難しく、多くの難題と隣り合わせであることを改めて思い起こされる事となろう。

"Not even justice, I want to get truth."なるお題目を嘗て聞いたが、少なくとも正義を語るには真実が見える必要があることは、事実であろう。

めでとし、めでとし。

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