2011年6月26日日曜日

i1620のSSD化にトライ

してみてのう。

夢のトリプルブートと銘打って以来、便利に使えておるi1620であるが、HDDの回転音が大きいのが難点。
今にも壊れそうな勢いの音なれど、この状況で使い続けて3年近くにもなろうか。未だに破損の兆しは、全くあらねど、静かなればそれに越したことはあるまい。

と20GBのHDDからEASEUSを用いてそのまま16GBのCFにコピーしてみたんである。後半は、LinuxのSwapエリア指定ならば、容量が減ってもどうという事はあるまい、とて試してみたものの、起動するのはPuppyのみ。WindowsもUbuntuも起動に至らぬ。

パーティション構成を見てみるならば、全領域がUnknown。それでもPuppyからはパーティションごとのディスクがマウントされ、中身も見えよう。

まこと、不可思議な状態であるのう。
ひとまず、小手調べとしては、ここら辺で仕舞いにしようかのう。
先ずは、めでとし、めでとし。

KEIAN 地デジチューナのACアダプタが壊れて

しもうたのう。

地下寝室に取り付けて間も無い地下テレビの調子が悪いらしい。
見ている途中で、15分もすると電源が切れてしまうらしいのだ。先日のスイッチ増設が原因ならばと、昨日は端子を圧着し直してみたが、治らぬらしい。

コンセント辺りを軽く小突たいりしてみるならば、やはり電源が落ちてしまう。なればと、端子を今度は半田付けしてみるも、変化無し。諦めかけた頃に、今度は地デジチューナ本体に全く電源が入らぬようになってしもうた。試しにとACアダプタの電圧を診てみるならば、電圧が出ておらぬでは無いか。
↑これでは映らぬのも、無理は無かろう。

どうやら、このところの不良原因もこのACアダプタにあったらしい。手元にあった互換の5Vアダプタを接続するなら、全く不調を訴えることなく、快適に映るではないか。

未だ、購入したばかりで保証期間は十分残っておるが、電車賃を使うて修理依頼に行くのも送料を負担して郵送するのも面倒が多ければ、専用アダプタを自作してしまうが早いかのう。

4,000年品質、全く困ったもんである。

2011年6月25日土曜日

お風呂テレビの電池交換

を行なってのう。

先日、CATV会社のデジアナ変換のチラシが入る少し前にそれまで寝室で使っておったお風呂テレビを人に譲ってしまうた。PCモニタ+地デジチューナが入ったならば、それはそれで良かろう。

当家には、お風呂にて利用する本命のお風呂テレビがあるのだが、この頃は電池の持ちがたいそうに悪化しておった。単三型の充電池が使えるように改造した後、既に2年ほども経つならば、600サイクルほどの充放電を行なっておることになろう。

しかしながら、程無くアナログ波の停波を迎えるなら、それまで騙し騙し使うも仕方あるまいと考えておった。それが、デジアナ変換で4年ほどの延命策が執られるとなれば、話は別であろう。

なればと、Panasonicのエボルタ充電池を購入・交換。繰返し1600回との振れ込みならば、年間300サイクルとして5年ほども持つ計算となる。デジアナ変換終了まで持ち堪えることを期待しての購入なるが、果たしてその運命や如何に。

↑enelongからEVOLTAに。充電池用基板改造で簡単換装♪

これにて当面、快適にお風呂テレビが楽しめよう。
めでとし、めでとし。

2011年6月19日日曜日

iBOOK用ACアダプタの修理

に至ってしもうてのう。

昨日、製作したばかりのiBOOK用ACアダプタであるが、RCAプラグを転用したリング部分の勘合が強過ぎた様相にて、何べんか着脱を繰り返すならば、リング部分のみが筐体に嵌ったまま中心電極が抜けてしもうた。

リング電極に抜け防止の曲げを入れなんだ事も不用意であったのう。

二度と斯様な失態を繰り返すまじと、修理と言うか、再製作に及んだんである。

↑リング部分と中心電極を予め筐体に勘合させた状態でホットボンド注入

多少の慣れもあり、昨日に比ぶれば、仕上がり具合も幾分上達したかのう。
めでとし、めでとし。

2011年6月18日土曜日

iBook用ACアダプタの製作

を試みてのう。

先日修理の済んだiBook G3であるが、専用のACアダプタが無う状態が続いておる。G4ノートと使いまわしておるのもいささか不便であろう。

iBookのアダプタのコネクタ形状は、少々特殊であって、材料収集に一手間余計に掛かるでのう。簡単に示すならとφ2.5mmのステレオミニプラグをRCAピンプラグの外側で囲った様な形で、他に例を見ない形状なれば、自作は少々難しかろう。

幸いにしてφ2.5mmのステレオプラグを見つけたならば、あとは24VのDC電源を用意できれば駆動電源を作ることは、容易であろう。その24V電源も多く使われる電圧であれば、幾つかのストックもあり、残すは、意気込みのみ。

φ2.5mmのピンプラグのみでは、簡単に外れてしまいそうな気配であるため、RCAプラグの一つを潰して外を囲うことにしてのう。純正品であれば、通電時にバッテリーの充電状況によりプラグ結合部がオレンジから緑に変化するのであるが、この仕組みは良う分からぬ。

↑φ2.5ステレオピンプラグ+RCAピンカバー=iBOOK用電源プラグ

<>|=|=|=|-]----
↑ ↑ ↑ ↑
| | | RCAピンプラグで作るシース部(B)
| |+24V
| GND
中心電極(A)

バッテリーを外すとA-B間には-22Vほどが掛かる
バッテリーを取り付けるとA-B間には2-3Vが掛かり、充電状況で変化する様子
A-B間を順方向に緑色LEDを接続するなら光らせる事ができそうだが、22Vの耐圧はきつい。なればともう一つ耐圧の高いダイオードを置きたくなるが、ドロップ電圧の低いものを選択せねば、LEDを光らせることも叶わぬであろう。
加えてバッテリーの無い折には、逆電圧が掛かる。簡単に実現するには耐圧ダイオードと定電流ダイオードにオレンジLEDを組み合わせる事となろうが、手持ちのディップ部品で実現するにはスペースが足りぬし、何よりコストも嵩んでしまおう。純正品ならば、多色発光LEDと幾つかのチップ部品を組み合わせておるのかも知れぬが、少々手の込んだ細工が必要であろう。

↑卒なく、動かば良しとするが良かろう。

コネクタの光に慣れてしもうては、光の出ぬ自作品は、心許なげで面白味にも欠けようが、給電の機能が実現されるなら、合格とするが良かろう。

めでとし、めでとし。

コレガのNAS(CG-NSADP)が壊れた!?

のか、接続できぬようになってしもうた。

このNASは、USBメモリを用いたデバイスサーバ用途で、事実上のメインとなるファイルサーバとして使うておった。2週間ほど前からネットワークに現れぬようになってしもうた。

設定が悪いのかと、工場出荷データに戻したり、電源のオンオフを繰り返したりしたのだが、種々の試みも虚しくネットワークには相変わらず表示が出てこぬ。
↑簡単・便利なホームサーバ

多くの機器が電解コンデンサの不良による事実をこのところ、多く見てきておったので、これにても付け替えて見ることにしてのう。使われておる電解コンデンサは、3種類6個。
 ・100μF×2個
 ・120μF×2個
 ・470μF×2個
↑コンデンサを全て交換してみるも、様子に変化無し。

斯様な品物のどこぞが壊れるものか、全く見分も適わぬが、事実として使えぬとなれば、処分するほかあるまい。ファイルサーバの中身として記録されたUSBメモリの中身が存命なのが救いであるが、端末が壊れても良い様にと立てたファイルサーバが壊れては、やり切れぬのう。

全く困ったもんである。

2011年6月15日水曜日

6月のコモパン

が届いてのう。

今回は、サマーコモパンズ。
涼しげでトロピカルな雰囲気が楽しげよのう。
めでとし、めでとし。

2011年6月14日火曜日

Ubuntu8.04でFlashが見えぬ

状態がしばらく続いておった。

何べんとなく、Adobeのサイトからプラグインをダウンロードしたり、別のプラグインをインストールしてみたりと試みておったが、一向に埒が明かぬ。何かの拍子にフラッシュが見られなくなり、少々難儀な思いをしておったのだ。

して、解決!
以下のページを参考にさせて頂いてのう。
takayanの雑記帳

"libflashplayer.so"なるファイルを参照すべき場所に置くことが肝要であるらしい。

身共の端末にては、以下2つのコマンドにてコピーを実施。
sudo cp /usr/lib/adobe-flashplugin/libflashplayer.so /usr/lib/firefox-addons/plugins
sudo cp /usr/lib/adobe-flashplugin/libflashplayer.so /usr/lib/flashplugin-nonfree

いずれの所業が正しかったのかは定かでないが、これにてフラッシュが見えるようになったらしい。
めでとし、めでとし。

2011年6月11日土曜日

地デジ対策_デジアナ変換

のチラシが入っておった。

見れば、JCN武蔵野三鷹のチラシでそこには大きく、

地上アナログ放送終了後

アナログテレビ
そのまま使えます!


の文字が躍ろう。

2011年7月5日、デジアナ変換スタート! とあるではないか。
2015年3月31日までの約4年間、アナログテレビが使えるとある。

↑チラシと先走った地デジチューナ

これに先立つこと、暫く前に地デジチューナを注文しておった。こちらも、本日、宅配便の不在連絡票が入っておるではないか。このチラシが3-4日も早く手元に届いておれば、チューナを追加注文することも無かったであろうに。

これで経済が回るのであれば、仕方なかろうが、無用の金を使わされた気分であるのう。

全く困ったもんである。

柳家さん喬独演会

を聞きに赴いてのう。

会場は、三鷹市の風のホール。

二つ目の柳家小太郎に中入りには鏡味仙三、仙花が加わり、笑いに驚き、そして、さん喬さんのしみじみとした語りによる八百屋清兵衛がトリとなる。

楽しませて貰うたのう。

めでとし、めでとし。

2011年6月5日日曜日

KENWOOD アンプR-SE7のリレーメンテナンス

を施してのう。

iTowerを使うようになってから、長らく使っておらなんだステレオがあってのう。
ケンウッドのコンパクトステレオなのだが、先日のコンサートの余韻に浸ろうかと購入したCDを掛けるも音が出んようになってしもうておった。

これまでも、音がざらつく度に音量を上げて酸化膜の破壊を繰り返しておったのだが、ここに来てその技も効かぬようになってしもうたらしい。この機種特有の持病であるリレー接点の酸化が原因であろう。

なれば、やはり解体するほか無かろう。

↑悪名高きリレーモジュールは、この3つ

基板を本体から剥いで、半田を吸い取ってリレーを外し、プラスチックカバーを開けたなら、紙ヤスリで接点を丁寧に磨くが良かろう。

このところの解体に閉口したiBookなぞに比べるなら、遥かに優しい修理であるのう。

↑元通りに組み直すならば、Pureな美しい音色の復活

さて、分解して気付いたのだが、アンプ部からもCD部からも結構な熱が出ておる。これは、効率の悪いトランスのせいであろう。ノイズの元となるスイッチング電源よりも効率は悪くともトランスを使うが良かろうという古き良き時代の遺産であることを強く感じるのう。

リビングのデフォルト100W消費にも貢献しておるのであろう。夏に向けては、元電源の切断スイッチを追加するが良かろう。

何はともあれ、綺麗な音色が蘇ったなら、めでとし、めでとし。

ブラウン管テレビの地デジ化検討

をしてみてのう。

先日、地下寝室に設置した地デジチューナを用いて、リビングのブラウン管テレビに地デジ放送を投射できることは確認済みである。然れども、改めて地デジ化の可能性について検討を行なうことにしたんである。

メーカ純正でブラウン管で地デジが見られるテレビは、ほんの一握りでしかない。そしてそれは、既に絶滅種といっても過言では無いほど珍しい個体であるに相違ない。

それならば、これまでに幾度となく解体を繰り返して、死線を乗り越えて来た我が家のテレビにあっては、チューナを内蔵させての地デジ化が図れるなら、申し分無かろう。

されとて、配線がスッキリする以外に良いこととて、別段ある訳ではない。テレビかチューナのいずれかが壊れれば、廃棄するか、面倒な修理を行のうか、待ち受ける道はまた荊であろう。しかし、地デジ化されたブラウン管テレビと言うのも捨て難い趣に溢れておろう。

↑先ずは筐体内にチューナを置ける場所があるかを確認

想いは想いとして、実際に煙草ケースが二つ入れば、上等程度の隙間しか見当たらず。これでは、チューナ内蔵は、無理かのう。小さな小さなチューナが見つかれば、トライするも良かろうが、刻限まであと一月ほど。どうしてくれようかのう。

全く困ったもんである。

2011年6月4日土曜日

山本有三記念館朗読コンサート

に赴いてのう。

朗読コンサートなるのは、初めての体験であって、どんなものであろうかと興味を懐き、応募しておったのだが、これに当選せしめたものである。

なんでも副館長によらば、150名ほどの応募の中から50名弱が集まったそうで、約3倍の競争率であったらしい。

内容は、野田香苗さんが山本有三の書き物から幾つかの文章を抜粋して読み聞かせるというもので、そこかしこに林智子さんの手によるヘルマンハープの音色が彩りを添える。

野田香苗さんの声質は、女性版久米明とも捉えられる性質のものにして、落ち着いた声質であるものの、程好いざらつき感とでも申す引っ掛かりのあるもの。単に皇かで艶やかな声というのではなく、上質なトラックボールの如く、耳を掴んで離さぬ優れた聞こえであったのう。

なれど、ヘルマンハープの方は、どうしたことか調律が甘いのか、どうもしっくりせなんだ。微妙なウネリや僅かづつ気持ちから離れる旋律が少々気持ちの悪いものであった。

但し、このヘルマンハープの生い立ちを聞いたならば、そんなものも気にすべきことでは無いのやも知れぬ。ダウン症の子を持つ父親が我が子が楽器演奏に加われるようにとの思いで、開発した弦楽器にしてシーケンシャルコードを楽譜として用いる点は、その思想に手回しオルガンに通じるものを感ずる。楽譜がそのまま実行形式として弦上に見て取れるのは、優れたアイディアと言えよう。最早楽器の域を超え自動演奏器に手が届こうかと言う位置づけにすら思えよう。

面白味はあるのだが、身共の好みに共鳴する音色とは言えぬものであった。



いくつかの朗読の中から、印象に残った一つを紹介するも良かろう。

1.農業と文化によれば、"culture"には、既に"耕す"と意味合いを含んでおったそうな。言われてみればagricultureには、しっかりと文化の文字が入っておろう。これまで、気付かずにおったわい。種を植え、結実させてそれを食むという行為は、なるほど動物には為し難い所業であり、「農耕とは文化である」との考え方は実に的を居ていると感じた次第。

良い機会に恵まれ、めでとし、めでとし。

立川駅に托鉢の人

がおった。

身共は、托鉢の人を見かけると布施修行に入ることがままあるのだが、柳下針院の帰りに見えた坊さんは、一味違おうておった。

色々なお坊さんに巡りおうておると、記憶に残る人、そうでない人、色々おるが、今回の坊さんは、托鉢に珍しいなりであってのう。
・まず、托鉢鉢を手に持たず、足元に置いておった。
・暑い中、疲れが出ていたのやも知れぬ、やや背面に身体をもたれさせて、鈴を鳴らしておった。
・経を唱えたり、祓いをしてくれたり、合掌を以って応うる僧侶が多い中、いきなり"お読みください"と紙を渡された。


プロセスのみを見るならば、何やら新興宗教の様であるが、出で立ちは、まさしく仏教僧であるならば、幾ばくかアウトサイダーの気配にも似た趣を感ずるのう。

こうした一期一会もまた見方によっては修行となるのやも知れぬ。
めでとし、めでとし。

*.チラシの一部を紹介
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気は長く つとめはかたく 色うすく 食細うして 心ひろかれ

この天海言葉は、ごく普通の生き方をあらわしていますが、私たちは欲望を抑えられず、なかなかそうした生き方ができないのが現実です。つい【お金】【業績】【名誉】などが気になり、ガンバリズムが働いてしまいます。その結果、命を蝕んでいるのです。おそらく天海は、長寿の秘訣は「淡泊にいきる」ということにより、すべてにおいて『平らにいきる』ということを言いたかったのではないでしょうか。

あなたの心に波風がたったとき、仏さまの顔を思い出してください。奈良の大仏でも清水寺の千手観音でも構いません。きっと「ほどほどで行こうよ」という[長寿の声]が聞こえるはずです・・・・・
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この頃良く聞かれる若者像に寄れば、既にこうした禅の平常心(びょうじょうしん)を備えておるのやも知れぬのう。
これまた、めでとし、めでとし。

腰痛日誌6/5(土)

久し振りに立川の柳下針院をたずね、診療を施してもらうた。

このところは、日々の灸の効果もあってか、暫く通わなんでも済んでおったが、どうも天気に左右されてか、幾分調子を外し気味であった。

灸の効果もあってか、表面近くは筋肉の緩み方も良いそうであるが、深部には、不適合部分が増加しておるらしい。又暫くは、少し詰めて通うた方が良いそうじゃ。梅雨の季節に通うのは少々難儀である気がするが、これも仕方なかろう。

マグトラで朝の散歩ができるようになってきただけでも、喜ばねばなるまい。
めでとし、めでとし。