2009年10月4日日曜日

桑姫のお通夜

に出席をした。

教会でのお通夜は私にとっては初めての経験。牧師さんが聖書の言葉を借りて桑姫の霊を弔う。そして牧師さんが選んだ讃美歌を唱和。あちこちから嗚咽する声が聞こえる。

牧師さんが、教会の中にあるステンドグラスを引き合いに出された。「ステンドグラスは、ステインと言う汚れや錆を意味する言葉だが、誰もが美しい物をイメージする。実際、ステンドグラスには、個々に見たら綺麗な色やそうでない色もあるがそれらが交じり合って美しい作品にと仕上がっている。人生にも喜怒哀楽が種々交じり合って、彩を添える」、そんな内容のことを伝えていた。

確かに、人の生死に関わる通じる無常観というのは、侘び寂びの世界に通じているとは感じていたが、キリスト教にあっても同じ種類の想念があるものらしい。

姫の死が全く悲しくないかと言えば嘘になるが、私の中に寂しさはあっても悲しみの占める割合がとても少ないのは事実。あまりに嘆き悲しんで、御霊を現世に惑わせ留まらせてはいけないし、新たな世界への旅立ちをこの世で生きた輝きの史実とともに是認するのも残された者の役割と思う。姫は動けなくなりつつある頃、"なんで、こんなことになっちゃったのかなぁ、でもこれも修行"と生前に口にしていたのだそうだ。その思いは、とても強く分かる気がする。それでも、生死を超えて考えると姫の御霊の歴史の中では、この現世との境界にある出来事も彼女の悠久の歴史を彩る侘び寂びの一部なのだろう、と考えることにしたい。

南無。

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