2009年7月31日金曜日

ブルッキアーナのパイロットクロノグラフ

を手に入れてしまった。

クロノグラフを使う用事というのも、滅多にないのだけれど、クロノのスモールメータが横一文字に並んでいるところが気に入ってしまった。


クロノメータが放射状に並んでいるモデルはたくさんあるけれど、一直線というのは珍しい。マイル尺の飾りも付いて、大きな文字盤とやや丸みを帯びた風防が、またまたイカす感じ。

夏から秋にかけても旬な雰囲気で、めでとし、めでとし。

2009年7月29日水曜日

エックス線作業主任者試験の講習会テキスト

の製作を始めた。
受験1ヶ月前の対策講座を開講するために、KigsoftPresentation(パワーポイントみたいなもんだね)で講義資料を作り始めたのさぁ。

ところが、いざ作り始めてみるとをスタートが遅かったことを実感。試験科目の4科目に合わせて4部の資料作成を予定しているが、まるまる一日がかりで漸く1科目分の作成が終了。12時間も掛けて1科目分だと、お休みが計4日は必要。週末の土日を含めても三日しかない。でも、講習会は来週の金曜日。

↑エックス線の相対強度と光子のエネルギーの関係図

↑エックス線の前方散乱と後方散乱の分布の様子

この種の素材ってのもちょうど良いものが中々転がってなかったりして、こんな絵を描き始めると、なっかなか捗らない。

さてさて、どうしたものか。まったく困ったもんである。

2009年7月26日日曜日

羊の皮をかぶったPC-MM2 Mebius MURAMASA

を作成してしまった。

腰痛のひどい頃にネットショップから購入したSharp Mebius MURAMASA PC-MM1。この機種は、薄くて軽くて、デザインも良く、大変気に入っていたのだが、CrusoeというCPUのためか、1GHzのクロックにも関わらず、モッサリと動く機種だった。これが、その後継機であるPC-MM2になるとCPUがEfficeonと言うのに変わっていて、すんなり動くと評判だった。ので、PC-MM2を手に入れていたのだ。

が、PC-MM2と言う機種。折角の綺麗な銀の筐体から液晶部分が黒に変わってしまっている。それに、クリックボタンの品質が悪くなって、直ぐに剥げて見苦しい状態になってしまうのだぁ。

そこで、PC-MM1をドナーにして、PC-MM1の皮を被ったPC-MM2計画を思いついたのだったのは、もう半年ほど前かなぁ...。レッツノートのSSD化で快適になってしまってから、Mebiusの出る幕がほとんど無くなってしまってたんだなぁ。でも、軽くて薄いのは持ち運びにも何かと便利。特に今の腰痛状態では、薄軽を作っておくことは"転ばぬ先の杖"♪

前置きが長くなり申したが、やっと工作が始まったのさぁ。

本体カバーのUSBポート周りの寸法が異なっていて、すんなり交換できないことは知っていた。それでも、いざ始めてみると、意外に悪戦苦闘。こりゃ、ヤスリとドリルを常備している人で無いとできないわなぁ。

1.PC-MM1の液晶をPC-MM2移植
 えっ、ヒンジが入らない。
 ヒンジのサイズが違う..。→液晶パネルの取付部を削る。
 あれっ、ヒンジの径が大きい。→ヒンジ枠も削る。
↑なんとMM1とMM2のヒンジには互換性が無い。削ったりヤスッたり。

2.PC-MM1の本体カバー移植
 モバイルS/Wの枠は両面テープ貼付なので、簡単に剥がせる。
 穴あけはドリルとヤスリ。現物合わせで頑張る。
↑モバイルS/Wも移植するため、穴あけ加工

PC-MM1では、元々バッテリ上部でネジ止めするが、PC-MM2の本体と干渉するので、ここもヤスリ掛け。代わりにPC-MM2はバッテリ上部に止めの出っ張りがあるので、その分、カバーに穴あけ...。

あっちを削ったり、こっちに穴を開けたり。ほぼ二日掛かりの作業になってしまいましたぁ。


↑レトロなPC-MM2の出来上がり♪

さて、やっと羊の皮を被ったPC-MM2が出来上がりました。元々が中古購入なので、"美品"とまではいかないものの、愛着の湧きそうな機種の出来上がり♪丸い電源スイッチも見逃せないポイント!
普通な感じで普通に使えるのが嬉しいねぇ。

めでとし、めでとし。

2009年7月25日土曜日

セブンイレブンの第3のビール_TheBrew

とやらを予約していた。
イトーヨーカドーのネットショップでお買い物のついでに見つけたのだぁ。7/24発売との事で、予約をしておいたら、翌25日に届いたわけだ。

↑パッケージデザインは可も無く不可もなく。。。

発売元を読んでみると、サントリー製!どこかのスーパーは、台湾製だったかを輸入しているようだが、サントリーと聞くと、ちょっと安心な感じ。

で、お味のほうは...、最近流行の"金麦"なんかとは明らかに異なる"軽い味わい"。"のどごしスッキリ"の表記があるが、むしろ"のどごしに残らない"って感じで、若干物足りなさを感じる。

で、この物足りなさを補うには...、と考えると"コロナ"じゃぁ無いけれど、柑橘系をちょっと加えたい感じだ。次は酢橘かライムあたりを仕入れてきて、加えてみたいものだ。

めでとし、めでとし。

狼の皮を被ったPC-MM1 Mebius MURAMASA

ができてしまった。
PC-MM2にPC-MM1のガワを着せようと、ドナーのPC-MM1を用意していたのだが、ドナーはドナーとしてちゃんと動作するので、こっちはこっちで使いましょかぁ。

↑表側から見るとPC-MM2、でも裏側はしっかりPC-MM1!

ちょっと小うるさいスイッチ類とシールもそのままで"なんちゃってチューニング"っぽい雰囲気♪

PC-MM2にPC-MM1のガワを着せるのは、たいそう難儀だが、その逆は割りと簡単!
PC-MM2もそうだが、PC-MM1でもやっぱりヒンジの互換性は無いので、液晶モニタをいっぺん開いてヒンジ交換を行わなければならない。それ以外には、特に難しいところは無い。

電源スイッチは丸型から角型に変わっても、問題なく勘合するし、無線のケーブルも2本から1本に変わったが、問題なく動作する。
USBポートの脇に少し隙間ができるが、気にもならない。パームレストに貼られたウサギのシールが可愛いので、ウサギ好みの妻向けに利用しても良いかなぁ。

めでとし、めでとし。

腰痛日誌7/25(土)

夜中に何度か目が覚めた。足が攣りそうになってだ。
軽い痙攣が続いて、もたもたしている内にだんだんと本格的に攣ってくる。

何度か、起き上がっては、マイクロ波で暖めて、眠りに就いた。マイクロ波治療器が無かったら、眠りを遮られるだけでなく、そのまま、ジタバタし続けなければならない。

昨日は、会社のお祭り+隣の職場のメンバのお別れ送別会。少々お酒が過ぎたのと、立ちっぱなしに座りっぱなしが体に堪えたらしい。随分使える体になってきたつもりだったが、こんな程度でもまだ、負荷が高過ぎるらしい。

日中になっても、尾てい骨の脇当たりに嫌な違和感が続く...。加藤整形外科に自転車で出掛け、くるみ薬局で薬を受け取る間に、股関節が"カクン"と正位置に戻ったような感触を覚えたが、直後に回復感が現れるでもない。

まったく困ったもんである。

2009年7月23日木曜日

腰痛日誌7/23(木)

夕べ、やや夜更かしをしたせいで早起きができなかった。
出遅れ感満載のため、午後からの通院に変更。早目のお昼ご飯を採って立川に向かった。着いてみると、15人程。柳下針院は既にお昼休み。子供達が4組ほど入ってしまうと、待機時間はいつもと大差無い。治療終了は5時半を回ってしまった。
「先生は、患者さんが大過ぎて、うんざりする事はありませんか。」
「頼ってきてくれるんだからなぁ。(仕方ない。それに)私がやらなきゃ、終わらないんだから。」
正直、うんざりする事もあるのだろうなぁ。助手のねぇさんは、「ごもっとも」って感じで大笑い。来週は、針院が夏休みになるためか、患者さんは、ひっきりなしで、待合室は相変わらずの芋洗い状態。無遠慮に待ってるだけでも、閉口するのに、難儀な商売である事この上無い。

そして、外にでると大雨もすっかりあがっている。難儀な松葉杖に滅入り気味だったが、時間が掛かって却って楽ができた。お天気も味方してくれてる。
めでとし、めでとし。

ストライダのサドルシートを交換

してしまったのだぁ。

それは、なぜかと言うと...何度かストライダのサドルを交換しているのだが、今までついていたサドルは、かの青チャリ(武蔵GT4三四郎スペシャル)がお亡くなりになったのをきっかけに、その遺品を赤く塗って使用していたものなのだ。

ボーイズに使われるクッションの良いサドルでストライダにも合っていたのだが、塗装が剥げてきて下地が見えはじめていたのだぁ。染めQで塗っただけなので、コーティングが弱かったんだけどね。「そろそろ、再塗装を」と思っていた矢先、またも通販で良い物を見つけてしまいました。

ちょっと値は張るけれど、Velo社製の真っ赤なサドル♪綺麗な形で格好良いじゃぁないのぉ。で、届きました。細身でスマートだけれど、以外にクッションに厚みがあって、良さげな雰囲気。

↑新旧比較。かなり小振りで軽くなりました。

早速、取り付けてみます。
↑こんな感じ。ストライダがさらにスポーティになりましたぁ。

これで、さらに遠くに漕ぎ出せるでしょうかぁ。
めでとし、めでとし。

2009年7月22日水曜日

妻にささやかなプレゼント

をしてみた。

会社を辞めてしまうと、彼女にはボーナスが無い。あり難いことに私には、ボーナスの配給があった。たいした事ができるわけではないが、お弁当にお掃除に洗濯にと甲斐甲斐しく働く妻にささやかながら、ボーナスのお裾分けをすることにしたのだぁ。

↑チョクラルスキーは映えが今ひとつ...。
本命の時計は気に入ってもらえた様子。(これでも、カツテは手タレ)

ゲージツ家を指南する妻に、ちょっとアートっぽいものを、と言うことで首飾りを2つとアンティークな雰囲気のバングルウォッチをプレゼント!

めでとし、めでとし。

2009年7月20日月曜日

ナンとカレー

を夕食に頂いた。
ナンは、どこぞからの貰い物。
粉の袋で貰ったきり、中々こねて仕上げるまでの、"ずく"が出なかったのさぁ。

さて、正直申せば、ナンを焼くのは、生まれて初めての経験。とはいえ、練り物は始めてしまえば、どうという事も無い。うどんを捏ねると大差無い。ただ、この家には、大きな練鉢が無いので、私の手で練り込むにはボールが小さい。

ま、コシの強いうどんを作るわけではないので、テキトーに捏ねて放っておけば、程よい感じに仕上がるじゃぁないかぁ。

↑ちょっと、食べ初めてしまったが、上出来、上出来!

夏のカレーにナンは合うねぇ。それに、わざわざ、ナンのもとを買って来なくっても、これなら強力粉と膨らし粉ベースで簡単に作れそうだぁ。
めでとし、めでとし。

2009年7月19日日曜日

土用の丑

なので、妻がうなぎ丼を作ってくれた。

↑盛り付けはシンプルに♪

写真にすると他愛の無い感じになってしまうが、うなぎは静岡からの取り寄せ品。ほっくらとして、うんまいぃ!

鈍った体に渇が入るかなぁ。めでとし、めでとし。

竹製の靴べら

を作ってしまったのだぁ。

靴を履けるようになって、外に出ようとする時に靴べらが短いと、とても大変だった。半年ほど前の当時、我が家には把手の長い靴べらが無かったのだ。

あまりに大変なので、竹で作ってみようと実家から脇山の竹を送ってもらっていたのだ。何せ、実家の蔵屋の脇にある裏山(脇なので脇山だが、実際は丘程度のもの)には竹薮ボーボーなので、細身の竹には事欠かない。

靴べらを作れると言っても、無理の利かない体では、早々作れないだろうと、お袋様が把手の長めなプラスチック製の靴べらを同梱してくれた。おかげで、竹材はそのまま転がったままになっていたのだ。

幾分か、体も動かせるようになってきて、せっかくの3連休なので、何か形になるものを作ってみたくなった。で、随分と久々の工作タァイム♪

↑竹の端材をざっくりと切り取ってみる。

↑小学生の工作みたいだが、それなりの形に

金属用のヤスリしか持っていないと、この手の仕上げを行う工具が無い。面取りに段差埋めにと全てをカッターナイフで行うのだが、中々綺麗な仕上がりにはならない。

まぁ、初めての靴べら工作としちゃぁ、使い勝手が良いので"及第点"と言うことにしましょう♪

めでとし、めでとし。

2009年7月18日土曜日

腰痛日誌7/18(土)

通院先が多いと大変だ。

費用も大変だが、通うのに費やす時間と、時間配分を考えるのも中々大変だ。午前中は、漢方薬の調達に菊池脳神経外科整形外科医院へ。「体に合っていると感じるなら一月分出しましょう」、と一か月分の処方箋を頂いた。一月分もらえるのは有難い。「体が熱くありませんか」と聞かれたが、「この季節に暑いのは当たり前」と答えると、笑って「暑過ぎるようならアコニンサン錠は適宜控えて構いませんから」との事。

たま調剤薬局で、たんまりとお薬を貰ってしまいました。菊池医院は近い、のだが、ストライダで移動すると、結構疲労感がある。これは、多分に体が鈍っているせいなのだろうが、じゃっかん足指の痺れも増す。リハビリの距離としても少々遠いのかなぁ。

家に戻って、落ち着いたら、今度は恵比寿に通院。バスが中々来ないし、体が疲労しているのか、お出掛けが面倒臭くなっている。着いてしまえば、どうという事は無いのだが、電車に座れなかったりするだけで、若干気分は下降気味。
恒例の石川先生の施術を受けると、随分運動に向く体に近づいているそうで、「水中歩行やチャリキングを疲労を感じない程度に行うのが良いでしょう。」との事。

無理せず、徐々に慣らしてゆきましょう。めでとし、めでとし。

2009年7月15日水曜日

腰痛日誌7/15(水)

朝から元気良く、立川に向かう。

ちょっと、ゆっくりと起き出したら、いつもよりも出遅れ気味。柳下針院に着いたのは、7時半近くだったが、今日は14番目ほど。

待合室の椅子にもゆとりがある。このくらいの人数だと、ほっとするねぇ。治療の終了も10時前。待ち時間が少ないと体も楽で、効果も高そうに感じる。

今日は、前から気になっていたことをおじぃちゃんに、聞いてみた。
「先生は、ご自分にも針を打ったりなさることはあるんですか」
「あるさぁ、でなきゃ、こんなに持たないよ。でも人に打ってもらう方が良く効くんだがねぇ。」

そうだったのかぁ、"謎が解けた"気がした。こんなにも朝から夜まで働き通して、元気に続けていられるのは、きっと鍼の力なのだろう。誰でも、自分で簡単に不具合を治療したり、未病の治癒ができたりしたら、随分世の中の動きが変わるのかも知れない。

"生兵法は怪我のもと"なんて諺があるが、いつも元気にはつらつと生活するためには、"普段の生活における治療・回復術"のような科目が義務教育に取り入れられるべきなのだろう、なんて事を感じる。

どこかの政党で公約に入れてみては、如何でしょうねぇ。

で、最後に「お尻の筋肉がもう少し、ふっくらしてくると、随分楽になってくるはずですよ。」と、太鼓判。
めでとし、めでとし。

7月のコモパン

が届いた。


↑今回は"たべてみて"セット

ふんわり食感のデニッシュ メイプルキャラメルは、今回の新製品。
毎月嬉しいね。

めでとし、めでとし。

2009年7月14日火曜日

美豊泉の定期購入

をお願いしていたのだが、その第一回目が配送されてきた。

美豊泉は、先日姫のお見舞いに"元気付けアイテム"として購入したものだが、そのあまりの美味しさに既にノックアウトされていたのだぁ。

前回は、2lを6本購入したのだが、暑さも手伝ってあっという間に終わってしまった。そこで、今回から定期購入として1lボトル20本入りの箱買いを続けることにした。

↑左が霧島の深層水、右が美豊泉

カミさんお気に入りの"霧島火山灰の深層水"に加えて"美豊泉"が我が家の定例"お取り寄せ水"に加わることとなった。

甘くトロトロの味わい。美味しいよぉ!めでとし、めでとし。

2009年7月12日日曜日

全面革張りの腕時計

を買いました。

↑文字盤の内側まで革です。

まぁ、何といいますか、夏休みを削ってまで、ムツカシイ講習会に参加してお疲れ様って感じのご褒美でございます。
お気に入りのLONGINESは、ベルトに余裕が無いので、このところの陽気だと汗ばんで、気持ち悪かったりするのです。

↑腕に巻いてみました。

本体の下側が少し浮いていて、ベルトも細身が2本となって、ゆったり巻ける上、風通しが良く、この季節には、向いている様です。珍しさも手伝って、お気に入りに登録ですなぁ。

めでとし、めでとし。

...そしてご褒美お買い物は、しばらく続くのですなぁ。

2009年7月11日土曜日

姫のお見舞い

午後から妻と一緒に姫のお見舞いに向かった。
今回の"元気付けアイテム"は、青竹踏み。

まだ、ベッドに横たわったままの姫が青竹を使うわけにはいかないが、看護のご母堂や妹さんの疲労が幾分かでも和らげば、姫にも良い影響が出てくることでしょう。

↑子供たちが作った姫の顔♪

部屋の壁には、お子さんがお見舞いに作った姫の顔が飾られている。ちゃんと姫の顔に見えるから立派なものだ。

ようよう良くなって、青竹踏みも楽しんでもらいたいものだ。

腰痛日誌7/11(土)

夏休み最後となる週末は、やっぱり治療通院だ。
月曜、火曜と午前中にちょっとばかり会社に顔を出し、水曜から金曜までは講習会通いで、連日朝が早かった。
「全く、休暇だった気がしない」、と妻が言うがまさしく同感だ。その上、立川通院の今日も、5時起き。このところ早寝が習慣化してしまった私には、そう辛いことも無いが、妻は眠そうに朝食を用意してくれる。毎日5時起きでの通勤がなくなって3ヶ月半、早起きの辛い生活に慣れまくっているらしい。

で、7時に着いて20人程。土曜にしては空いている方なのだろうが、やっぱり丸々5時間コース。お昼になっても待合室には20人程が詰めている。見馴れた人達も多くなってきた。
治療後に、また先生に聞いてみた。
「そろそろ、いっぱい歩いても良い頃でしょうか」
「未だ、駄目だぁ。やっと、ここ迄、良くなってきたんだからぁ。まぁけれど、随分良くなってきているから、慌てなさんな。」と。
どうも、自分で感じるよりも身体の回復は遅れがちの様だ。
思えば、この感覚と実状の差が何べんもの振り返し減退をもたらした要因なのかも知れない。
今月中には、もう少し制限を外せるかと思っていたが、未々油断禁物なのかも。全く困ったもんである。

2009年7月10日金曜日

第2種放射線取扱主任者講習三日目

夏休みを費やした講習会も今日が最終日。

座学が終了すると、終了試験が行われる。落とすための試験ではないので、試験の要点を教えてくれるのだが、これが早口で、内容も早くて、何がどうだか、その場でおぼえ切れるもんではないぃ~。

なので、三日間の座学中は、ちゃんと耳の穴をかっぽじってしっかり聞いておくのが正解と言うことらしい。当たり前っちゃぁ、当たり前だが、ブランクの長い私にとっては、結構適当に記憶されている内容を整理せにゃならんので厄介だ。しかも、かつて試験を受けたときから、法令が随分変わっていて、面食らう場面も少なくなかったのだ。

問題は20問。1時間の試験で、分かる部分もあり、分からない部分もあり。合格点が何点かは分からないが60点から80点くらいで合格なのだろうか。15人全員がめでたく合格となったところを見ると、合格ラインは、60点位なのかも知れない。

センタに一括で免状の申し込みを依頼して、小一ヶ月も待つと手元に主任者免状が届くのだそうだ。
試験の合格証も研修の終了証も、この申請に合わせて原本を送ってしまうので、手元からは無くなってしまう。せっかくなので、カメラに収めることにした。


↑講習の終了証(画像が荒くて何だか分からんわぃ)

青春の一ページを費やした気分だった7年前の試験勉強だが、ようやく何となくも形になろうとしている。
それが望みという訳ではないが、良く頑張りました、と言うことで、めでとし、めでとし。

今後、講習会を受ける人のために、終了試験の内容を少しばかり紹介しておきましょう!
20問の試験は全て五肢択一で、「正しいものを選ぶ」ものと「正しくないものを選ぶ」ものが混在する。
(順番は適当で、正解かどうかの責任は持てません。)

1.運搬に関する問題で、「輸送指数は1mSvを1とする」:×
2.放射線障害には、しきい線量を持つ確定的障害と、線量に比例する確率的障害がある。:◯
3.60Co線源から1m離れた位置でGM計数管式サーベイメータで測定したところ10mSv/hだった。補正係数を0.79として線源の線量が何Bqかを求めよ。
4.安全管理と業務効率では、効率を優先するべき場面もあるため、取扱主任者は柔軟に対応しなければならない。:×
5.遮蔽物を2mの位置におくと線量が半減した。この遮蔽物を外したときに同じ線量となる距離を求めよ。
6.床面の傷を直したり、壁の塗装を塗り替えたりしたが、施設の補修の用件として当てはまるものはどれか。
7.施設の点検項目として誤っているものを選べ。:清掃が6ヶ月毎に行われているかの点検。
8.健康診断の保管期限は3年である。:×
9.密封線源の等級には試験の無いものがある。:◯
10.密封線源の取扱では、目視および触って確認する:×
11.密封線源の性能要件は、温度/圧力/衝撃/振動/パンクの五つ。:◯
12.事業所境界の管理値は、1.3mSv/年である。:×
13.フィルムバッチの取付け位置に関する問題
14.許可申請と届出の問題
15.事故処理における責任者は、その管理区域ごとに選任する。:×
16.線源の紛失、行方不明となることの要因で正しいものはいくつあるか。
17.1m離れた位置で10μSv/hの60Coを1cmの位置で測定するのに適したサーベイメータは何か。
18.特別型運搬物とは、特別な形状の運搬物である。:×
19.安全遮蔽の自主点検項目は、シャッタ/ホルダ/接続部分/位置調整。
20.エネルギー校正した後の60Coの線量は13μSv/hだった。電離箱、GM計数管式、NaI式シンチレータで測定したときの指示値は、いくつだった。16、12、13μSv/hをそれぞれのサーベイメータに当て嵌めよ。

詳細は、もっと細かいが、だいたい上記の内容でした。

2009年7月9日木曜日

第2種放射線取扱主任者講習二日目

を終了した。
放射線安全管理の基本と密封放射性同位元素の取扱をかなり急ぎ足での講義を受けた。137Csを使った液面レベル計の測定実習や90Srと204Tlを使ったβ線の遮蔽実験の実習が続く。SrやTlは、カウントで数えるだけなので、どの程度の数量なのか実感できず、一寸こわい感じが伴う。仕事で使っているけれど、普段からなるべく近づきたくない線源の一種だね。

昨日の実習レポートのまとめを今朝提出し、すんなりパスしたのは、15名中3名のみ。私も含めて残りの人は全員再提出。とは言っても、どこが間違っているか付箋で教えてくれているので、内容を理解すれば、すぐに出来上がる様になっていたらしい。

因みに私の場合は、サーベイメータの測定レンジを転記間違いしたと言うおマヌケなミスを指摘されていた。折り返しを過ぎ、明日は終了試験。テキストを読み返すと今頃になって新しい発見があったりするのだが、大丈夫かぁ、俺!?

長いこと電車に乗って、久しぶりの頭を使って、なんだかヘトヘトの気分。大丈夫かぁ、俺!?

ちょっと、困ったもんである。

2009年7月8日水曜日

第2種放射線取扱主任者講習

をひょんなことから受けることにした。

講習会の初日となる本日は、水曜日。夏休みの折り返し点だ。
思えば、放射線取扱主任者試験を受けたのは7年も前のこと。この試験は、試験に合格しても、講習を受けて実技をこなさないと、免状が貰えない。当時は、確か当時の東海村長堀のあたりまで出掛けないと講習会が受けられなかった様に記憶している。

夏休みをニューカレドニアくんだりまで行って、ひねもす試験勉強していたことが思い起こされる。それほど、勉強したのに、1種には受からなかった。で、"青春をこれ以上費やすのはもう嫌だぁ"って2種を取ったところで、放ってしまっていたのだ。

それが、今頃、ひょんなきっかけで...。
先週、ホームページを見てみると、第5回目の講習が今週あることが分かり、申し込んでみた。大急ぎで写真を撮ったり、受験申請書を作ったり...、優しい職員の方が対応してくれて、受講が可能になったのだが、今日からの講習案内が届いたのは、実に昨日。

関数電卓が要る、ってんで早起きして会社に立ち寄り、電卓を抱えて会場に向かったのだぁ。場所は、都営三田線の白山駅に近い(財)原子力安全技術センター。
今回講習に集まったのは、15名。普段は36名ほどだそうなので、1/2に満たない。でも20名くらいがやりやすいのだそうだ。

さて、講習1日目の内容は...、
先ず、軽い質問が講師から飛ぶ。7年も前で復習して無いもんだから、いきなり分からないぞぉ。
曰く「α線は、空気中に飛び出したらどうなりますかぁ?」
曰く「β線は、どこから出てきますかぁ?」
曰く「NaI(Tl)のタリウムは何で入っていますかぁ?」

それぞれ答えは、ヘリウムガス、中性子(n→p+e(-)+υ(-))、アクチベータとして可視発光させるため、てな具合になる。
*.「β-壊変で中性子が陽子と電子と反ニュートリノになって原子番号が1大きくなる」、なんて話は、記憶のはるか彼方にしまい忘れられている。

こんな調子だから、講習の内容も結構難しく感じてしまうのだぁ。講師の人たちが優しく手取り足取り教えてくれるので、何とか講義にも付いていける感じだが、初日から大変だ。

午後は、3種の実習+レポート試験。提出課題は、コバルト60を用いた1cm線量当量率の測定と得られた結果の考察だ。

3種の実習は、以下の通り。
 1)サーベイメータの特性実習
 2)γ線の遮蔽実習
 3)1cm線量当量率の測定

提出課題を簡単に紹介すると以下の様になるのさぁ。
 (間違っているかも知れないしぃ、模範解答では無ぁいので、参考まで)
1)使用線源の数量計算
 Q=Q0×e^(-λ×t)
 Q:求める当日の数量(MBq)
 Q0:検定日の数量(MBq)
 λ:壊変定数 0.693/T (60Coの半減期は5.271年)
 t:経過日数
 2006年3月22日に74MBqだったので、本日までに1203日経過し、48MBq

2)線量当量率への変換
 D=Γ×Q/d^2
 D:線量率(μSv/h)
 Q:本日の数量(MBq)
 Γ:1cm線量当量率定数:(0.354μSv/h/MBq・m^2)
 d:線源からの距離(m)
 で、計算すると
 1m線量当量率は、16.98μSv/h
 5m線量当量率は、0.68μSv/h

3)GM計数管式サーベイメータを使って線量当量率の測定
 a.コバルト60から少しづつ距離を変えたときの測定値を二人で測った値を平均---①
 b.あらかじめ測っておいたバックグランド値を①から引く---②
 c.校正定数(コバルト60の一次線をCsで校正した値として0.8を設定)を②に積算---③
 d.③により得られた線量当量率を両対数グラフにプロット。
 で、グラフに書いてみると、計算値よりも実測線量は大きいが、ほぼ距離の自乗則に反比例したリニアな線が引ける。

4)境界線の算出
 線源の使用時間を40h/週として常時立入場所境界線と管理区域境界線を求める。
 a.常時立入場所境界線(1MsV/w):1mSv/w→25μSv/h 実測グラフから求めると90cm程度だった。
 b.管理区域境界線(1.3mSv/3月):1.3mSv/3月→2.5μSv/h 実測グラフから求めると2.9m程度だった。
 *.3ヶ月を13週として計算

5)考察
 ①グラフから実測値も距離の自乗に反比例する様子が分かるので、自乗則に従うとする考え方は正しい。
 ②実測値が理論値よりも大きな線量を得るひとつの理由は、γ線の散乱線の寄与が考えられ、距離が遠くなるほど散乱線を検知する割合が高くなるためと考えられる。
 ③測定に用いたGM計数管式サーベイメータは、コバルト60の一次線のみでエネルギー校正されているが、多重散乱による低エネルギー側での校正がされていない。このことも実測値が大きく観測される理由のひとつと考えられる。

提出課題のレポート内容は、以上のような按配だ。おんなじこと書いて試験に通らなくても、某を責めない様にぃ...。

さて、気になる講習費用だが、これがなんと、¥112,500なり。住民票を取ったり、写真を撮ったり、収入印紙に郵送代に交通費...。もろもろ含めると12万円近い。
仕事に使うことが目的ではないので、今回は自腹。僅かばかりでも、ボーナスが出たおかげで、今回は凌げそうだ。

松葉杖を使いながらも、何とか講習も受けられるようになって、あと二日がんばれそうかな。
めでとし、めでとし。

2009年7月7日火曜日

石川先生登場

石川先生が井の頭公園の脇に越してきた。
ようこそ、三鷹市へ。

整理用に用意した板材が大きく、難儀していると言うので、のこぎりをお貸しすることにした。お貸しするついでに我が家に遊びに来ていただくことにして、そのさらについでに、ランチをご一緒することにした。

妻が我が家に居ると、散らかっていると言っても、人を呼ぶことができるのは、幸いだ。
真昼間からビールを片手にお粗末なランチでも他愛の無い会話と共に飲み食いするのは、贅沢な気分だ。

先生には、のこぎりのついでにジグソーもお貸しすることにしたので、きっとバリバリ捗ることでしょう。暑い夏の日の午後の寛ぎタイム!

めでとし、めでとし。

2009年7月6日月曜日

腰痛日誌7/6(月)

一足早い夏休みに突入した。
のだが、冷静に考えてみると、私が居ない間の仕事をちゃんと、受け渡せていなかった。
ので、午前中のみ出社することにした。
何とか、むりくり残務を仕事をお願いすると、その足で、立川への向かった。

柳下のおじぃちゃんの治療を受けるためだ。1時頃に着いて、おにぎりを食べ始める頃には、お昼休みに突入。着いた時間には20人ほどの患者さんが待合室に。

その後も少しづつ、患者さんが増え、お子さんの優先割り込みが入ると、なんと番が回ってきたのは6時頃。5時間の待ち時間は、さすがに堪える。物理的なお尻の痛さが結構増してきていた。

それでも、この所のしっかりした回復感には、随分役立っている気がする。で、おじぃちゃんに質問してみた。
「今月中には、スタスタ歩けるようになりそうな気分ですが、どう思われますか。」
「そろそろ、なっても良いねぇ、ただ、生きてる人間の体はどうなるか分かり難いからねぇ。天気予報よりも難しいねぇ。」
若干、頼り無げにも聞こえる、お答えだが、まぁ、結構良い状態になっているらしい。なかなか抜け難い張りが残っているのは事実だが、"うっ"とか言う痛みもほとんど出ることがなくなってきているのは、気持ちが晴れやかだ。

この種の病に目標を定めるのは禁忌の様だが、今月中には松葉杖に頼らずに済みそうになる予感。当たると良いねぇ。

めでとし、めでとし。

2009年7月5日日曜日

腰痛日誌7/5(日)

昨年の第1日曜日に、兄上の車で小岩の病院から退院してきた。
七夕の前日に退院してきたので、退院してから今日で丸々1年が経過する。

初日は、退院したことを素直に喜んでいたが、汗だくの暑い夏を呻いて過ごす長い闘病生活の始まりだったのが思い出される。

あの頃でも、こんなにも長患いになるとも思いもしなかったが、なんとなくフラフラしていると何となくも直っていくものなのだなと感じる。

もちろん、何にも治療をしなかったら、どうなっていたのか分からない。でも、何もせず放っておいても治ってきたのかも知れない、とも思えるのだ。この1年随分色々な治療を試してきたが、どれほど回復短縮に役立ったのかは、基準が無いので良く分からない。
治療のおかげで、動ける気分になって、動き過ぎて、ぶり返したり停滞したりしていたのかも知れない、とも思うことがある。

何もせず、ただ手をこまねいている事ができない性格なので、今の状態は"これで良し"なのだが、「椎間板ヘルニアは、きっと無理をしなければ手をこまねいていても直る」気がするのは、何となくも収穫だ。

なんだかんだと、周りにいっぱい迷惑を掛けながら、助力を得て、ここまで来れた事を1年目の今日は喜ぶことにしましょう。

めでとし、めでとし。

2009年7月4日土曜日

姫のお見舞い

へと足を運んだ。
恵比寿での治療を終え、日比谷線に乗って、姫の居る築地聖路加国際病院へ。

ご母堂が見守る中、姫はすやすやと寝息を立てていた。薬疹が出たりして、ずいぶんとむずがっていた様だが、少し落ち着いてきている様子。最早、食が細くなっているだけではなく、経口補水も、ままならないらしい。
病室は、静かにゆっくりと時が流れているだけのようだが、介護するご母堂には疲れの様子が色濃い。姫にもとっとと回復してほしいものだが、周りの人たちにもより元気に過ごして欲しいものだ。

という訳で、今回の"元気付けグッズ"は、"アミノバイタルタブレット"!!
といっても、姫が摂れるわけではないので、看病する人向け。残業時間になってヘロヘロした気分になったときにこんなもので少し元気になった記憶があるのを思い出していた。
気休め程度にでもなってくれれば幸いなのであ~るぅ。

2009年7月3日金曜日

腰痛日誌7/3(金) 数えて404日

新しい仲間を迎えての歓迎会が執り行われた。
今回は、会場が職場の近くなので、腰にも優しい。ちょっと、忙しくなってきたせいなのか、調子付いて体を使っているせいなのか、このところ、また夜半になって足の攣ることが増えてきた。

いわゆる"こむら返り"ではなく、足の甲とふくらはぎの表側がゆっくりと痙攣する。さして冷えている感覚も無いが、マイクロ波で腰を暖めると収まっていくので、血流が悪くなっていることが原因の様でもある。

普通に運動強化ができれば、良いのだろうが、かばってばかりいると、なかなか、そんな方向にも進めない。まぁ、それでも控え気味ではあるが、仲間と一緒にお酒を飲んで楽しめるようになってきているだけでもずいぶんマシというものか。

まったく困ったもんである。

2009年7月1日水曜日

新しい仲間

が職場にやってきた。
会社は、「集中と選択」の名のもとにかなりドラスティックな人員の再配置を行っている。今回は、社の中でも特別な精鋭部隊と目されてきた人たちが6人やってきた。

そして、私とゴクミがこの部隊に加わり、総勢8名のZeus隊が結成されることになったのだぁ。思えば、今から10年も前に描いていたシナリオが、Zeus隊で実現できるかもしれないと思うと、ちょっとワクワクした気分が醸し出されてしまう。

何も細工していなかったところからの出発なので、この先どうなることか、危ぶまれることも多いが、先ずは「めでとし、めでとし。」なのであるぅのだぁ。