2008年7月31日木曜日

腰痛日誌7月31日(木) (未来からの記載)

とうとう、7月も末日、丸々2ヵ月を寝たきりで過ごしてしまった。
あまりの暑さにベッドルームのエアコン修理を決意し、リハビリのために、リビングに上がった。2層分の階段登りは、未だ、かなりきつい。単なる階段の往復でしかないが、リビングを2か月ぶりに訪れる事ができた。深澤先生の治療があると思えば、多少の無理も出来る。
湿疹は、少し酷くなっている。アナフラニールとテトラミドをアタラックスに切り替えたが、未だ、効果がでないのか、薬疹ではないのか。深澤先生には、肝臓も、調整してもらい、様子見だ。

2008年7月30日水曜日

腰痛日誌7月30日(水) (未来からの記載)

三鷹痛みのクリニックに2回目の診療。新型ゴルフには、車椅子が入らず、リアゲートを開けっ放しで走りました。少々難儀したが、何とか運んで貰えた。
湿疹は、薬疹の可能性もあるとの事で、別の薬を処方して貰う事になった。
今日のブロックは、1%カルボカイン5mlを2箇所に注入。座薬を入れて痛みに鈍くなっているのか大きな変化は感じないものの、左足に普通の痺れの感覚が戻ってきている。少し効いているかな。
家に帰ってからは、ヘルパーさんに干した布団をしまって貰った。アッキには、色々と用事をこなして貰い、大活躍だ。時計の電池交換、テーブルタップ交換にエアコンのリモコン調達と室外器の動作確認。目白押しだ。少々遅い夕飯の後、妻が足湯を付けてくれた。先日洗って貰って程無いが、湯はドロドロだそうだ。垢を擦り落として貰うのは、マッサージの様で極楽気分だ。

2008年7月29日火曜日

腰痛日誌7月29日(火) (未来からの記載)

使っていないのだから、しょうがないとは言え、足の筋肉の落方が激しい。脹ら脛など片手で回る程だ。リハビリメニューはほとんどがストレッチで、これをこなすのにも痛みに遮られる事が多い。
昨日の入浴が効いたのか、ベッドの上での寝返りが打ちやすくなった。これを良い事に、リハビリに力を入れるが、ちょっとやりすぎると、途端に痛くなる。ただ、これまでよりも痛みが退くのは早く、且つ痺れの方が強くなっている様だ。ハードディスクから異音が出る様になってしまったレッツノートのバックアップを取ろうと通販で購入した、USBメモリとSDHCカードを試した。アッキに頼んでメモリをストレージサーバーに追加して貰ったが認識しない。再び外して手元に置いていたが、レッツノートでは、何事も無く認識。フォーマットしていなかったのがいけなかったのか。ひとまずは、ちゃんと動作している間にせっせとバックアップだ。一緒に購入したSDHCカードはフォーマットが出来ない。そう言う物なのだろうか。
フルバックアップとは言わないものの、無くして困るファイルはどうやら取り出せた。めでとし。

2008年7月28日月曜日

腰痛日誌7月28日(月) (未来からの記載)

妻が京都のスクーリングから戻っての朝、彼女はお休みを取った。
彼女には忙しく、ややもすれば鬱陶しい時間かも知れないが、一緒に過ごせるのは、嬉しい。PandamanからPCの貸出し提案があった。昨夜ダウンロードしたブラウザで、FireFoxからSyleraに乗り換えて少しマシになったとは言うものの、いかんせん486/75MHzのリブレットには、今の通信環境は荷が重い。
妻の休みを利用してお風呂を使った。入院以来これが2度目、湯船に浸かると間もなく、垢が湯面に浮き上がってくる。薬湯にしたせいか身体がポクポクと温かい。昨日から、腕に汗疹の様な、じんましんの様な発疹が出てきた。薬湯のせいでも無いだろうが少し強くなってきた。食べ慣れないご馳走に身体が驚いたのか、コンドロイチンや田七人参の瞑眩症状なのか。ベビーパウダーを付けて、暫く様子見だ。

2008年7月27日日曜日

腰痛日誌7月27日(日) (未来からの記載)

昨夜も一昨日と同じ眠剤を飲んで寝たのだが、今朝の目覚めは、普通だった。単に身体が疲れていただけだったのかも知れない。昨日の夕飯にと用意してもらった食事は、食べきれず、朝食に頂いた。美味しいと喜んで食べてしまうが、そうそう食べきれない様だ。
午後になると、ユッケとアッキが訪れてくれた。ユッケは、目を傷めたとの事で、サッカーの練習を休んで来てくれた。身の回りの用を片付けて貰う。こんな時に若い男手は、頼りになる。
彼らにに運んで貰ったご飯をお夕飯にいただいた。アッキに頼んで少な目に盛り付けて貰ったつもりだったが、それでも満腹以上だ。
しかも、妻の分まで用意してもらってしまった。
お陰で、美味しい家庭料理を堪能できた。
ここ暫く、少しづつ快方に向かっている気がしているが、相変わらずお手洗いは鬼門だ。別段、何が変わるという訳ではないが、激しい痛みに苛まれる事が多い。仙腸関節辺りにずっと、捻挫が続いている様な痛みだ。こんな痛みを伴う度にいつまで続くのだろうと、弱気になる。

2008年7月26日土曜日

腰痛日誌7月26日(土) (未来からの記載)

マイスリー、アナフラニール、テトラミドを眠剤として処方して貰った。たっぷり11時間も寝てしまった。痛みを忘れていられるのは、嬉しいが、沢山寝た方が良くなるのか、どうか。
今日は、兄上とアッキが一緒に来てくれた。相変わらず千佳さんの手料理は、美味しい。つい食べ過ぎてしまう。細々と用を片付けて貰った。有り難い事だ。
眠剤のせいか、温度のせいか、今日は、1日中、眠く、だるい。なんだろう?
夕刻には、頼みの深澤先生の治療をして頂いた。一回で、目を見張る様な変化は無いが、徐々に動きが楽になってきているのは、この出張診療に寄るところが大きいのだろう。
中々痛みの退かない姿を見兼ねて、商売道具を貸して下さった。プラズマハートと言うコイルの治療器具で怪しさたっぷりなのだが、痛みの場所に置いておくと、不思議と痛みが和らぐ気がする。誘導で、神経を伝う電気信号をブロックする様な効果があるのかも知れない

2008年7月25日金曜日

腰痛日誌7月25日(金) (未来からの記載)

普段と痛みと突っ張り感は、変わらない。
ブロック注射もある程度、回を重ねないとならない様だ。今日は、アッキが来て色々と身の回りの世話をしてくれた。人に頼むには、余りにも些細な事でも自分では出来ない事が多い。リクライニング気味の折り畳み椅子を運んで貰って座って居られるかも試したが、まだ無理がある。こんな事もやはり、若者の方が頼み易いものだ。
そして千佳さんが作ってくれたご馳走を頂く。餃子、煮付け、漬物、おにぎり、果物、食べたかったものが、勢揃いだ。お昼の残りは、夕飯になったが、かなり食べ過ぎてしまった様だ。
そして、今日は、会社の祭り日、職場では、アメリカンドッグの模擬店を出すらしい。多くの人は、明日から夏休みに入る。こんな長期戦になろうはねぇ。

2008年7月24日木曜日

腰痛日誌7月24日(木) 数えて60日 (未来からの記載)

昨日は、入浴後の痛みがあまり強く無かったことからソファーにトライした。ジープの後部座席を流用したもので、座れそうな気がしたが、みるみる痛みが増し、程無く断念。階段登り降りの余波もあったのかも知れないが、今朝になっても治まらない。タクシー移動も辛いかなぁ。
タクシーを頼み、クリニックに運んで貰った。車椅子は、意外に地面の凸凹が響く。待合室でリクライニングしていると邪魔で、空いているベッドを使わせて貰う事ができた。座骨神経へのブロックは3-4箇所に軽く注射して1時間の安静だ。念を入れて、眠剤も処方して貰う事とした。
私の身体を支えたり、タクシー移動の度に車椅子を分解/組立てて荷の積み卸しをするヘルパーさんの方が大変そうだ。

2008年7月23日水曜日

腰痛日誌7月23日(水) (未来からの記載)

昨日の均整治療のお陰か、良く眠れた。朝食後にも、眠気が残り、久し振りの二度寝をした。
二日程前に妻に尋ねた。お尻を拭く時には、どちら側を持上げるか、と。彼女には質問の意図が分からない様だった。よくよく聞いてみると真ん中から拭いているらしい。右側の尻を上げて拭き取る姿勢の痛みに難儀していて、左側からトライしようかと考えていた。真ん中拭きは、私にとっては全く新しい思想だったが、この二日程の成果は目覚ましい。痛みが無くなる訳ではないが、大用後の呻きは格段に減った。ある意味、大発見である。
ヘルパーさんにきて貰った。溜まりまくった垢は、生半可では落ちきれないが、身体は、十分に温まった。手で身体を支持しないと居られないので自分で洗う事は儘ならないが、妻であっても、多少の助けがあれば入浴は出来そうだ。
ヘルパーさんは、少々、ご年配の女性で、打ち合わせもそこそこに、とっとと忙しくしていた。ヘルパーさんは、打ち合わせ書を渡したが、それもそこそこに、とっとと忙しくしていました。洗い物などしてくれているらしいが、2階では何がどうなっているのか、分からない。
ヘルパーさんは、気の良いちょっとメカ音痴、という感じだ。明日の通院も同じ人。
狭小住宅には、随分邪魔だが、車椅子と歩行器も受け取った。フルリクライニングができるので通院時の待ち時間には、活躍してくれるだろう。
歩行器がきたお陰で手洗いが随分楽になった。少々、腰が痛いな、と思うとボルタレン座薬の切れる頃、まぁ仕方が無いか。
妻の週末不在に向けて、扇風機の位置を変えて貰ったり、飲み物を用意してもらったり、準備が大変だ。自分の準備と介護の準備と慌ただしい限り。追い討ちを掛ける様に、入浴に使ったタオル類の洗濯が加わった。面倒な事だ。

2008年7月22日火曜日

腰痛日誌7月22日(火) (未来からの記載)

寝ていると無意識で立ち膝をしている時がある。
布団の中にあったり、健常体なら何ら問題は無い。しかし、今の状態でも布団に守られない立ち膝が倒れようとすると、ビクンっと抵抗しようとする。これがいけない。こんな事を2度も繰り返すと、折角休んでいるのに、更に痛みを増した状態で目覚めねばならない。立ち膝回避の為に横向きに姿勢を変えて眠るのだが、この姿勢も突っ張り感のある痛みがあって、あまり面白く無い。
中々、岩井整形外科内科病院に通院できる気配にならない。通院できる様になるまでの間、近場の通院先を探そうと兄上から紹介のあった近場のからさわペインクリニックに問い合わせをしてみた。9/2まで予約が詰まっているそう。もっと近所で案内のあった三鷹痛みのクリニックに問い合わせを入れた。往診が可能との案内に期待していたが、忙しくて今は来院対応のみなのだそうだ。それでも木曜日に予約ができた。すぐ近くと言っても、まだ自力でたどり着くだけの自信は無い。またもヘルパーさんを頼む事にした。動けないと自宅療養は、設備と人手の無い分、存外に出費が多い。
夕刻には深澤先生に4回目の出張診療に来ていただいた。手技に少し痛みを感じるが、落ち着いて来ると術前よりも痛みは弱まる。回復は、亀の様な歩みだが、焦ってもしょうがなし、回復感があるだけ上出来と言うところか。

2008年7月21日月曜日

腰痛日誌7月21日(月.祝) (未来からの記載)

2時半、痛みで目が覚めた。4時間程しか眠れなかった事になる。
痛くてボルタレン座薬を使ってしまった。座薬が効いて、1時間程すると再び眠りに落ちた。更に4時間半、痛みさえなければ、この位の睡眠時間を身体は欲しているのかも知れない。
朝食後に、妻が足洗い用に金だらいを用意してくれた。病院でも軽く一度洗って貰っただけだったので、角質化した皮膚がひび割れてヒリヒリと痛くなってきていたのだ。足を浸けた湯は、たちまちどろどろになったらしい。ひび割れが完全に無くなった訳ではないが、久し振りに足裏が柔らかくなってひび割れの痛みからも解放された。課題で忙しい中、時間を割いてくれた妻に大感謝だ。
ちょっとしたきっかけでFireFoxの古いバージョンをダウンロードできた。2.0では、ページ送りに10-20分掛かっていたが、1.0では、5-10分だ。多少マシになった。486/75MHzマシンでは、ここら辺が限界だろう。
昼は蕎麦、夕は、素麺。何れも、長野から送られてきた新鮮な薬味が沢山載せられた。旨いねぇ。麺類は特に、ちゃんと座って食べたいものだが、寝転がって食べたって旨い物は旨い。来週位には座れる様になりたいものだ。
午後、妻は課題の合間を縫って、コンサートに出掛けた。一緒に行く予定だったクラシックバスカーズだ。代わりに行ってくれたクラモッティも、周りの子供達にも、中々好評だった様だ。早くシャバに復帰したいものだ。

2008年7月20日日曜日

腰痛日誌7月20日(日) (未来からの記載)

朝、大用をしている間に注文していた固綿マットレスが届き、早速妻がベッドに敷いてくれた。腰の沈むマットレスを外してから、肉の落ちるのに従って、骨が布団に当たってだんだん痛くなってきていたのだ。東洋紡のフィルハーモニーと言う素材が使われているらしいが、これは快適だ。
ほどなく、ダスキンホームインステッドのマネージャーの方に来て頂いた。彼もお休みのところを無理言って打ち合わせに来て頂いたのだ。基本的に医療行為以外は何でも相談に応じてくれるそうで、こういう身になると有り難いサービスだ。
兄上が、色々と心配して、ペインクリニックを紹介してくれた。ブロック注射だけなら、国立なので、小岩に比べれば行きやすそうだ。紹介状をお願いしてみようか。
相良と長野の実家から食べ物が届いた様だ。海と山の幸とで食卓が華やぐ。嬉しい事だ。

2008年7月19日土曜日

腰痛日誌7月19日(土) (未来からの記載)

眠剤を使わないと眠りが浅く、調子が悪い。後4錠しかないが、追加調達が出来ない。そこで、半分に割ってみた。これでもそこそこ深い眠りが得られた。もっと早く気付きたかった。
昨日と変わり、大便もとっとと済ませる事ができた。大便後は、痛みが増すが昨日程ではない。昼食後は、割と落ち着いてきた。こうなってくると、またいくらでも動けそうな気がしてしまう。ベッドに座っただけで、簡単に期待は裏切られてしまうのだが。
夕刻に兄上達が見舞いに来てくれた。3週連続だ。長男のユッケは、ボーナスが出たと見舞い金まで包んで来てくれた。千佳さん手作りのお稲荷とゴーヤチャンプルーも大変美味しい。何にしても有り難い事だ。

2008年7月18日金曜日

腰痛日誌7月18日(金) (未来からの記載)

昨日の均整治療のお陰か、ボルタレンのお陰か、はたまた通気性の良い枕と入眠が2時と遅かったのが手伝ったのか、眠剤無しでそこそこ眠れた。眠さは残るが今日は、雨との事で多少涼しくなれば、昼寝も出来よう。
長らく風呂に入っていないため、足の垢が角質化している。足裏は、ざらつき割れて痛くなってきた。濡れタオルで身体を拭いているが、痛くて力を入れて足を拭く事がいまだにできない。風呂にも入りたいものだ。
腰の痛みが落ち着いてきたと、少し油断した。大便に時間を掛け過ぎたのか、かなり痛い。こんな事で、1時間以上も呻く事になろうとは。右側を下に寝ると左の仙腸関節辺りが痛い。ついでに右腰骨の突起にも体重が集中して床擦れ気味だ。左側を下にするとやはり痛みの中心となる臀部が圧迫されて痛い。仰向けでは両足が逆に反らされる様な感覚と何より背中が暑い。うつ伏せには、相応の形のベッドが要る。どうすりゃいいんだ。

2008年7月17日木曜日

腰痛日誌7月17日(木) (未来からの記載)

眠剤は、あと4錠しかない。妻の提案もあって、眠剤を止めてみた。なかなか寝付けない。肉が落ちて骨張ってきている為に、布団が余計に硬く感じられ、痛みを助長する。覚醒と睡眠の巡間をうろうろしながら、多くの夢を見た。今日から歩ける様になったと言って飲み会に出ていたり、実家の近くで悪者忍者風と戦っていたり、BMWの新型X6の展示会を見に行ったり、服を着たマンガみたいなハムスターと話をしたりと、所々が何となく繋がって長編になっている様な夢だった。ただ、眠りは浅かったが、どんどん痛みが増していくことは、無かった。それだけでも、随分マシだ。
とは言うものの、退院して10日が過ぎた。筋肉は落ちるのに、他に然したる変化の無いまま、時は過ぎてしまう。
端末があれば、多少の仕事は出来ると考えていたが、その道も暫くは、閉ざされてしまった。
あと、どれ程この生活を続けないとならないのか、妻や会社はどれだけ耐えられるのか、色々な事が頭をよぎる。2ヵ月経ても、歩けないと言うのも困ったものなので、今からもう少し何か手立てを講じられないかなと考えているのだが。自他共に楽になるには、どんな手立てが取れるのか..。
漸くの事でリブレットをネットワークに接続出来る様になったが、古いブラウザは今のWEB環境に付いていけない。と言って最近のブラウザを使える程のパワーは無い。さてさて。
今晩も頼みの深澤先生に出張治療をして頂いた。触診では、良い反応になってきているが、痛みにどう影響するかは分からないそうだ。今日は、歩ける様になっていると思ったんだけどなぁ、とちょっと当てが外れたご様子。一昨日の治療から、やや痛みが増していると伝え、あまり痛みが加減しながら、調整して頂いた。終了後、引き連れ感を伴う痺れと痛みが出てきたので、ボルタレンを投与。
暑さのせいか、食欲が落ちた様だ。夕飯にはパンをひとかけ。妻も暑さにヘトヘトだ。ちょっと床に寝そべっただけで、眠りに落ちてしまうらしい。

2008年7月16日水曜日

腰痛日誌7月16日(水) (未来からの記載)

昨日同様の突っ張り感があるが、比較的調子が良い。暫くの間、手の支え無しで腰掛ける事も出来た。少し回復基調になってきた気がする。
寝てばかりだが、病院にいた頃に比べて食が太くなっている様だ。妻と相談して食事の量を若干減らす事にした。何かつまみたいな、と思うが、この位が丁度良いのだろう。ひもじくはない。
さて、私のノートPC(Let'sNote)は壊れかけてきている様だ。3-4日前当たりから兆候はあったのだが、どんどん悪化して行く様だ。ハードディスクの交換が必要そうだが、今の私には手出しが出来ない。
もう暫く、持ってくれないと困ってしまう。妻に頼んで無線LAN対応SSD化したリブレットを持って来て貰ったが、地下には、電波が届かないらしい。今更ながら、有線LANにも対応させておくべきだったと悔やまれる。
何にしても屋内の移動位は、出来る様にならないと話が始まらない。今晩から養命酒の力も借りる事にしよう。

2008年7月15日火曜日

腰痛日誌7月15日(火) (未来からの記載)

フランスベッドのレンタルカタログにチルトとリクライニングのできる車椅子を見つけ、借りようと連絡した。日曜、祝日共に配達は出来ないそうで、中々受け取れる日程が無い。気合い入れて、痛みを堪えながら玄関に迎えに出るしかないのだろうか。
昨日マットレスを外して貰ったものの、少々硬すぎる感がある。硬すぎる煎餅布団も腰痛には良くないらしいので、対策マットレスを注文した。正しいお金の使い方になっていると良いのだが。
玄関に度々呼鈴の来客があるが、出られないので放ったままだ。インターホンもリモコンになると良いのだがなぁ。こんな、腰痛にさいなまれていなければ、そんな改造も出来ようになぁ。
本日も尋牛均整院の深澤先生に出張診療をして頂いた。2時過ぎに来て頂き1時間あまり治療して頂いた。
先日よりも深部に届く様になったそうだ。少々、きつめにいじって貰ったため、神経のラインに沿って、痛みに近い突っ張り感がある。ひとまず、あと2回の出張診療をお願いして本日は終了。施術に際し、取り外したマットレスをあちこち移動して貰いながらと言うのも申し訳ない次第だ。

2008年7月14日月曜日

腰痛日誌7月14日(月) 数えて50日 (未来からの記載)

妻の起床前に目覚めた。マットレスを取り払って貰い、日中の寝返りは、楽になったが、目覚めの腰が痛い。今の敷き布団だけでは、少々硬すぎるらしい。
痛み対策にモーラステープを貼った。日中は、少し痛みが引いて楽になったが、手洗いに立った折りに、迂濶に左足荷重したらしく、再び下腹の痛みが増す。こんな事の繰り返しだ。辛い。

2008年7月13日日曜日

腰痛日誌7月13日(日) (未来からの記載)

昨日の治療のお陰か、ここ暫くの中では痛みは小さい。
深澤先生の話しもあって妻がマットレスを外してくれた。これまで、私の寝る位置にだけマットレスと敷布団の間に板材を挟んで凌いでいたが、随分と快適になった。ただ、高さが15cm程低くなってしまったため、立ち上がるのと据わるのが、少々難儀だが寝心地には代えられない。
妻の課題レポートが終わると髪を切って貰った。伸びまくった髪の暑さと汗の酸っぱい匂いに堪えかねて、実家から電気バリカンを送って貰っていたのだ。妻はバリカンを握るのも初めてで、しかも寝そべったままでの面倒な仕事をこなす事になった。長く姿勢を保てない私の事情の割には上手な丸刈りが出来上がった。風が抜けていくだけで、随分快適になった。少し痛い姿勢で頑張った為の痛みはあるが、これも我慢の範囲だろう。妻の働きには、多いに感謝だ。
ただ当初の予定では、今頃夏休みでヘルシンキを目指していたはずで、久し振りの旅行を楽しみにしていた彼女には、感謝しつつも申し訳ない思いだ。上司や同僚達も穴埋めに奔走して貰っている様子でみんなに心労と面倒を掛けまくっている。これ程の長患いになるとは、全く予期していなかったなぁ。

2008年7月12日土曜日

腰痛日誌7月12日(土) (未来からの記載)

妻の提案もあって、眠剤無しで寝てみることにした。
眠りは浅く、良く目覚める。4時過ぎには、痛みに堪えきれず、座薬を使ってしまった。更に2時間ほどの眠りを得たが、これでは、なんにもならない。もう暫くは、レンドルミンの世話にならざるを得ない様だ。
午後も3時を過ぎる頃になると、座薬の効果が無くなったのか、部屋が冷えてきたせいか、俄然、痛みが増してきた。兄上達が総出で見舞いに来てくれた。バッテリー上がりを気にしていたが、家の周りを一乗りして来て頂いた。ひとまずJEEPのバッテリーは問題無さそうだ。そうこうして居ると、尋牛均整院の深澤先生が来て下さった。無理を言って出張して貰ったのだ。施術のやり難いベッドで治療して頂いたが、一回で何とかなる状態では無いらしい。無理を言って、暫く出張をお願いする事にした。
夕飯には、義姉の千佳さんから差し入れて貰った炊き込みドリアを頂いた。「人に作って貰った料理は美味しいねぇ」とは、疲れ気味の妻の談。

2008年7月11日金曜日

腰痛日誌7月11日(金) (未来からの記載)

何となく、普通に歩けそうな気がしたのだが、いざとなると、
立ち上がろうとする素振りだけで、激痺れと辛い痛みが現れる。せっかくの良い天気なのに、軽くふて寝してしまった。ノートPCもハードディスクの異音がしてからなるべく、使用を控えている。手元の本を読んだりテレビを見たりして時間を過ごす。何から何まで妻に頼る情けない生活という点に変化は無く、1日は呆気なく終わっていく。週単位で考えれば、多少痛みは減っている気はするものの、本当に回復に向かっているのか、不安になる。

2008年7月10日木曜日

腰痛日誌7月10日(木) (未来からの記載)

間をおいて、ふくらはぎ脇から腰にかけて這い上がってくる痛みは、無くなってきた。ディープヒーティングの効き目もあるのか仙腸関節辺りの痛みは幾分か和らいだ気がする。ただし、その辺りを擦る位の強さで押すとまだまだ痛みは強い。
家に居ると溜まった郵便物にメールにラジオ、テレビと気を紛れさせるものは、たくさんあるが、生活の基本は、全て妻が頼りだ。早く彼女の負担を少なくしてあげたいものだが、後、どれ程掛かるのだろうか。

もう一つ気掛かりなのは、端末のハードディスクが止まる時に嫌な音がし始めた事だ。申し訳ないが、バックアップ機器の準備も妻頼りだ。

2008年7月9日水曜日

腰痛日誌7月9日(水) (未来からの記載)

小物をちょっと動かしたくて、四つん這いになってみた。
そのついでにお手洗いにも寄ったが、この格好では、むしろ痛みが増すらしい。背骨への負荷は少ない気がするのだが、この痛みはなんだろう。
昨日に引き続きメール整理を行う。読み飛ばすだけで良いものが多く120件ほどを整理。
微熱は、下がって来た様だが、時折37℃程になる。動かなければ、時折襲われたピリピリする痛みも無くなってきた位が変化だろうか
週末の土曜に尋牛均整院の深澤先生に出張診療を依頼し、今晩から小林製薬のシビラックとメンソレータムのディープヒーティングを加えてみることにした。
夜になって、容態を心配したスペクトルマンが、手練れの鍼医者(柳下鍼灸)を紹介して下さった。彼は、つい最近のぎっくり腰が3回程で治ったそうだ。有り難い事だが、立川迄の移動は今のところ手立てが無い。せめて、車椅子で移動できる様になればなぁ。

2008年7月8日火曜日

腰痛日誌7月8日(火) (未来からの記載)

朝から自分の仕度と私の面倒見に妻は大忙しだ。
おうちに帰れて私は、嬉しいが妻の思いは複雑かも知れない。
昨日に引き続き、午前中は就業時間に合わせてメール整理から始める事にした。OWAだと半日に50件も読むと手一杯だ。少し遅めのお昼ご飯を食べてから、午後も頑張ってみたが、100件程を読んで力尽きた。
相変わらず頭と背中が蒸れてしょうがないが、妻が用意してくれたファブリーズのお陰で酷い汗臭さは、随分軽減された気がする。夕飯に久しぶりの美味しいお蕎麦を頂いた後に超音波歯ブラシを使った。それまで使っていた電動歯ブラシは電池が弱っていた事もあるが、それとは比較にならない爽快感がある。然り気無い妻の心遣いに感謝至極だ。
それにしても、そろそろ、もう少し動ける様になりたいものだ。

2008年7月7日月曜日

腰痛日誌7月7日(月) (未来からの記載)

気が付けばもう七夕だ。
我が家に帰って初めて一人で日中を過ごす。看病は全て妻におんぶに抱っことなる。
病院には、申し訳ないが、妻の食事は美味しい。妻が端末も用意してくれたので会社のメールにもアクセスできる様になった。ただ寝そべって、キーボードを打つのは、なかなか骨だ。端末があれば1-2割位の仕事はできる積もりでいたが、随分甘い考えだった。扇風機は回しっぱなしだが、頭と背中の蒸れ方は酷いものだ。
それに、病院と違って手洗いはほんの十歩程で往復できる筈なのに、随分と負荷が大きい。松葉杖ではどうしても背骨に負担が掛かるためか、暫く呻く時間が生じてしまう。
妻は、疲れが溜まってか国分寺まで乗り過ごしてから帰宅した。消耗したラジオの電池とお風呂用のテレビを運んでくれた。面白い番組さえあればテレビは、痛みを紛ぎらわせる効果が高い。身体を拭いて貰ったり、着替えをさせて貰ったりと、完全な寝たきり老人介護と一緒になってしまっている。弱ったもんだ。

2008年7月6日日曜日

腰痛日誌7月6日(日) (未来からの記載)

何度か目覚めはするものの30-40分で再び眠りにつける。
これも、眠剤のお陰。そして、今日は、退院日。
9時ほどに妻が現れ、身の回りの片付けを始めてくれた。着替えが終わり片付けが一段落する頃になると、程なく兄上が迎えに来てくれた。日曜なので病院内も空いている。兄上のオデッセイは後部座席をフルフラットにしてくれていて、大層快適だった。単なるリクライニングの椅子よりも数段上だ。日曜の空いているを快適に我が家へと辿り着いた。懸念していたセキュリティゲートから玄関迄の道のりも松葉杖で何とか移動出来た。念のために容量の大きな座薬を使ったせいか、このところの様子に比べても遥かに痛みは小さかった。しかし、薬効が切れてきたのか、夕刻には、いつもの痛みがやってきた。おまけに狭い空間を通って手洗いまで松葉杖と言うのは、以外に負荷が高い様で痛みもひとしおだ。相変わらず左下腹部と左足脇の痛みが堪えられ無くなる。
病院は、病院で一長一短あるし、我が家が必ずしも便利と言う訳ではないが、待望の帰宅を素直に喜びたい。

2008年7月5日土曜日

腰痛日誌7月5日(土) (未来からの記載)

眠剤で約5+1の6時間の眠りを得た。
痛みで明け方に目覚めた後は、半ば闘いと共の薄い眠りだ。朝食は座って食べられそうな気分だったが、二箸三箸も付けたところで断念。残りは、寝そべって食べる事に。どうも松葉杖を使った翌日は、ドーンと負荷が増すらしい。
午前には、また洗髪していただいた。お陰で汗だくの頭がすっきりした。家に帰っても、風呂に入れないとどうしたら良いものだろう。
Dr.Cntlが見舞いに来て下さった。八代からの出張帰りに立ち寄ってくれたらしい。にもかかわらず、重い雑誌類やラジオペンチまで持って来てくれた。見舞いまで用意してくれて、なんだか非常に恐縮してしまう。お陰で、病院に備え付けられた読書灯の補修が出来た。病院へのほんの恩返しの積もりだったのだが、Dr.を使ってしまって申し訳ない限りだ。Dr.と入れ違い程で今日も妻が来てくれた。美容院帰りでまあるい頭になっている。補給物資と明日の準備を整えて引き揚げて行ったが、本番は、これからの家の片付けの様だ。長らく目にしていないので、どうなっていることやら。
さて、驚いたのは、第三の訪問者としてタムタムが見舞いに来てくれた事だ。錦糸町に来たついでとの事だったが、わざわざ調べて来てくれたのだろう。ただ、間の悪い事に、食事時。何でもなくても、食事は未だ闘いの真っ最中にあるため、どっち付かずの話しになってしまったのが申し訳なかった。

2008年7月4日金曜日

腰痛日誌7月4日(金) 数えて40日 (未来からの記載)

朝は、4時に目覚めた。目覚めの頃は、
脹ら脛の脇の痛みが一番強い。座薬を使いたいところだが、昼御飯を座って食べられるかのテストのためにとって置く事とした
さて、昼御飯を座って食べられるかと言うと、左足元から痺れと痛みが這い上がってくる。両手離しは無理だが、片手で上体を支えていれば、何とかなりそうな雰囲気がある。新たな痛みが加わるものの、多少の改善か。ピリピリと時折呻きたくなる様な痛みは相変わらずだが、座薬のお陰か頻度は減ってきた様だ。
リハビリでは、自宅療養後の腰痛体操を教えて貰い、準備が整ってきた。今日も妻がせっせと見舞いにやってきた。さすがに金曜の夜ともなれば疲労の色はあるが、開放感のある顔つきに変わっている。良い事だ。

2008年7月3日木曜日

痛みの10段階評価について

看護婦さんが毎日、痛みの程度を数値で尋ねてくる。数値評価の基準を何か作っておかないとブレが出てくるだろうと感じ、目安表を作ってみた。最初に言われたのは、今回の入院前後で一番痛かった状態を10としたら、今どの程度か、と言うもの。

[痛みの10段階評価の目安表]
10:顔色が変わり、血の気が引く激痛で意識が揺らぐ
9:息が早くなる持続的に我慢出来ない激痛
8:歯を喰いしばり、何か握ってないといられない(神経根ブロック程度)僅かな時間なら堪えられる
7:精神制御限界点、唸る、喚くが効果無し、継続すると絶望感を伴う
6:喚き散らし、唸り捲りたい気持ち
5:ほぼ、半べそ状態嫌な汗が出る
4:我慢できるが呻き声が出そう、半べそ手前
3:覚醒下では我慢できるが、睡魔より強い。持久戦は徐々に辛さが増す。
2:我慢でき且つ眠れるが、集中力を妨げる
1:定常的に付き合える
0:無痛、問題なし

腰痛日誌7月3日(木) (未来からの記載)

今朝も4時頃に一旦目が覚めたが、そのまま二度寝ができた。
痰吐きのおじいさんが居なくなったのもどうやら大きい様だ。隣のおじさんも手術後は、ぐっとイビキが小さくなった。随分、眠り易くなったが、痛みは僅かづつ増している。お手洗いも食事も苦痛だ。症状の後退を感じる程に、情けなくって涙が出てくる思いだ。実際にも痛みで、半べそかいていたりするのだが。
昼食は、初めてベッドを起こして貰った。食器の位置がほぼ目線と同じ高さで大した仰角では無いが、これでも結構しんどい。食の闘いは、中々終わらない。とは言えこの程度にも堪えられ無い様だとおうちにも帰れない。前途多難...。
食後に、仰角を小さくして3時間ほど過ごした。フルリクライニングできる車なら、おうち迄何とか持ち堪えよう。
辻さんと言う看護婦さんが、色々気を遣って調べてくれた。小岩駅のエレベーターの事、薬の使い方の事、それから痛みのスケールの事。
特に、この病院では、痛みを数値化して管理しているが、「入院前の一番痛かった時を10とするとどのくらいか」と言うアバウトなものだ。知らせる数値がぶれない様、目安表を作っていたものをお見せした。どうやら私の尺は、一般的な人と異なるらしい。(私の3→普通の6)辻さんは、改善点と語ってくれた。

2008年7月2日水曜日

腰痛日誌7月2日(水) (未来からの記載)

昨夜は、ブロック注射のお陰か痛みも和らいでいた。
背中が蒸れて寝付けなかったため、左を下に横寝をした。たっぷり6時間ほど眠れたが、仙腸関節辺りの痛みが強い。明け方に座薬を使い、凌ぎ易くなった。厳しい痛みになる前だと座薬の効果は高い様だ。(眠りが痛みに醒まされる程度には効くが、悶える位になると効きをあまり実感しなくなる)
麻酔の様な鎮痛効果は、期待出来ないものらしい。
昼前に、タオルで体を拭いた。垢は溜まり放題だ。足の角質もこそぎ落としたいが、足を拭く動作は、少々辛い。続いて洗髪をして貰った。車椅子に腰掛け、体重を掛けない様に手で支持しながら、手早に仕上げて頂いた。一週間ぶり程でとても気持ち良い反面、下腹部の痛みは、じんわりと増してくる。今朝は、座薬を所望しておいて正解だった様だ。
ところが、フランスベッドメディカルに電話を掛けたり、大用の為に踏ん張ったりしたのが効いたのか、午後は徐々に痛みが増してきた。
ところで、この病院は下膳が早い。患者さん達の食べるのが早い事もあるのだろうが、配膳後15分程で、片付けが始まる。もう少しゆっくりしていても良いのかも知れないが、掻っ込まないとならない雰囲気がある。当初は、修練と思っていたが、時間制限と相まって痛みを伴うと食事も楽しみと言うよりも、闘いの要素が大きくなってくる。病院食の様な整った食事は望むべくも無いが、それでも、おうちでゆっくりの食事に、早く移行したいものだ。
本日のリハビリでは、床から立ち上がる方法を学んだ。やはり、立ち上がる為には、ソファーや椅子等の手掛かりが必要だ。自宅療養と言いながら、どう配置したら良いものやら。妻の小さくか弱い体で、何処までレイアウトできることか。
ついでに左足の親指は、立ち膝の曲がりに堪えられ無くなってしまっている。

今日も月初の忙しい中を妻が見舞いに来てくれた。診断書の郵送を頼んだり、飲み物を補給してもらったりと、甲斐甲斐しく面倒を見てくれる。私には面倒を見てくれる妻が頼りだが、そうでなければ、小間物便利屋の様な病院に於ける家族代行者が居ると良いのかも知れない。

2008年7月1日火曜日

腰痛日誌7月1日(火) (未来からの記載)

5月の末週に現れたぎっくり腰の様な痛みから丸一月を経過し、
7月に。季節は夏になってしまった。そういえば、思う間もなく、蛍の季節を過ぎてしまった。トホホな気分だ。
10時頃に仙骨硬膜外腔ブロック注射をして頂いた。注射を含め痛みも無く、体の変化も特に感じなかったが、2-3時間も経った頃からやんわりと痛みが和らぎ始めた。全く劇的出はないものの、リハビリも幾分か楽に行える程度のしっかりした変化があった。ここから、痛みが戻らなければ、良いのだが。問屋が卸してくれるか否か。
今晩もお昼ご飯もゆっくり出来ない辛い月初の1日を過ごした妻が見舞いに来てくれた。退院後の予定に付いて、一方的にまくし立ててしまった。介護カタログで、リクライニングできる車椅子を見つけた。せめてこんな物でも無いと通院も儘ならない。松葉杖では、未だ50mも移動したら限界だ。
家に帰ったら、きっと今よりも、自分で色々しなければ、ならない事だろう。
夫のケアに妻の負担も大きくなっている。家に帰れば、直行できる分、多少楽になるだろうか。