2008年6月30日月曜日

腰痛日誌6月30日(月) (未来からの記載)

とうとう、6月も末日となってしまった。
座薬は、あまり効かずほとんど眠れなかったが、何となく元気だ。
(なげやりハイ気分!?)

それにしても、ここは、色んな音がする。
カ~ッペッ!
がががががっぐご~
かこここかこ~
うあ~あぅあぇ~
知らない国の動物達に添い寝されているみたいだ。
岡本先生と話しをした。退院は、ひとまず日曜日目標となり、明日、仙骨ブロック注射の予定となった。
昨日、痛くて気持ちが萎えたと伝えたところ、「自宅で療養しながら、ゆっくり考えた方が良いよ」、と言われてしまった。焦ってもしょうがないって事だろうか。夕刻には、定例のリハビリ。松葉杖で1階に降りるだけで、げんなりするほど痛い。このままだと、自宅療養も厳しいものを覚悟しないといけない様だ。
今日は、ElfManと兄上が見舞いに来てくれた。見舞いに食べ物は不要と伝えたところ、タオルを持って来てくれたのだが、却って余計な気遣いをさせている様で申し訳ない限りだ。ただ、仲間達の様子を知らせてくれるのは、嬉しい。
兄上には、退院に合わせて車を出して貰える事になった。こちらも有り難い限り。妻は、月末のくそ忙しい中にも関わらず、面会時間寸前に駆け付けてくれた。夫婦とは言え、頭の下がる思いだ。

2008年6月29日日曜日

腰痛日誌6月29日(日) (未来からの記載)

とうとう、6月最後の日曜日になってしまった。
何となく眠れる様になってきた事以外の進展は余り感じない。
眠剤に替えて座薬のみで眠ってみた。1時過ぎに目覚め、その後は、薄い眠りと目覚めの繰り返しとなった。思っていたよりも眠剤の効果は大きい様だ。
今日は、なんだか痛みが増して感じる。看護婦さんは、"この天気ではね"と言っていたが、天気に左右される様でも困りもんだ。痛みを抑えるだけの気力が落ちているだけなのかも知れない。
ここで、一句。
"咳をすると響く"

2008年6月28日土曜日

腰痛日誌6月28日(土) (未来からの記載)

途中、5時ほどに目覚めはしたものの、座薬無しで朝まで眠れた。
ちょっと進歩。毎食決まった時間に食事は出てくるし、部屋もベッドも掃除してくれるし、贅沢な筈の生活だが面白味が少ない。どんどんと怠惰な気持ちになる一方で、知欲、行動欲とでも言う様な能動形態への渇きが増している。
岡本先生によれば、最後の手段としても手術が必殺技にならず、痛みがある間は仕事は無理だろうし、ここまで来たら腹をくくって、しっかり療養するのが、良いでしょう、との事。とは言え、満床に近く、来週には、出ないとならないとの事。せめて座れる様になりたいものだ。本日のリハビリは、自主トレと間を挟んで、階段を途中まで2回。コルセットを着けなかった事や低周波干渉治療が無かったせいか、結構長く強い痛みが続く。後、一週間で何処まで回復できるのだろう。
夕刻には、妻が見舞いと差し入れに来てくれた。休日は、妻と一緒にビールを片手にピザなどつまみたいものだ。

2008年6月27日金曜日

腰痛日誌6月27日(金) (未来からの記載)

今朝は、5時頃まで睡眠薬のみで眠れた。それから、
座薬を入れて痛みは収まってきたが、あっという間に6時の起床時刻になってしまった。毎日30分程づつ目覚めまでの時間が延びて来ている様だ。朝食までの僅かなうたた寝も含め随分幸せな眠りになったものだ。
お昼ご飯は、麺の無いミートソースにおにぎり、そして小豆の様に小さな葡萄と言う大変カリフォルニアナイズされた物でした。既成概念に捕らわれない想定外のメニューだった。岡本先生がいらっしゃって、容態を伝えた。「もう少し、様子を見るか。」と言う事になった。歩行器を使って右足だけでピョンピョン滑る分には、辛くなくなってきたが、歩く様な動きをすると相変わらず、痛みが増す。続いて昨日同様の松葉杖を使ったリハビリ。階段に多少慣れはするものの、痛みは相変わらず。痛みを堪えながらの夕飯に続き、妻に着替えを手伝って貰っていると井伊さんと成井さんが見舞いに来てくれた。成井さんは、大手術の経験があるだけに、痛みと治った後の晴れやかな気持ちは良く分かるらしい。それにしても、みんな手土産に気を遣ってくれる。甘菓子が、多いので妻がどんどんデブになっていってしまう。何か良い手は無いものだろうか。

2008年6月26日木曜日

腰痛日誌6月26日(木) (未来からの記載)

ボルタレンと言う座薬の量を半分にして貰った。これでも、
明け方の眠りが確保出来る。
今日のお昼は一口カツ、トマト、コンソメスープと紅茶ゼリー。お腹は、相変わらず景気良く鳴っている。大用の時に踏ん張ると痛みが増すと訴えたところ、下剤っぽい薬(カマ)を貰った。本来なら、フルーツやキャベツの千切りなどで、スッと出るのが良いのだろう。
会社から持って来て貰った雑誌等でも読み物がたくさんあると、何となく忙しい気分になる。寝転がって読むのは、割合に疲れるが、さりとて、腕で支えずに座ると、片腹の痛みが一瞬に増していく。車椅子の世話にもなれない。困ったもんだ。
夕食後に妻が足を運んでくれた。タオルや身の回りの物を取り替えたりと、細々気を遣ってくれるが、眠そうで疲れている。妻のいる中で、リハビリの続きを行った。松葉杖のリハビリをはじめて3日目。松葉杖で階段にチャレンジしたが、未だ我が家の階段上り降りは無理そうだ。リハビリと言ってもほんの2-3分でリミットを迎えてしまい、思いのほか、手間取っている。

2008年6月25日水曜日

腰痛日誌6月25日(水) (未来からの記載)

4時頃に目覚め、座薬無しで、まんじりともせず過ごした。再度、
眠りにつける程ではないものの、辛くてしょうがないと言う程の痛みでは、無くなって来た。座薬を入れると又眠れるのだろうが、放っておいても、目覚めていれば、我慢出来る。眠くなればうたた寝もできるので、随分気は楽だ。
実際、ここまで来ると妻の言う通りジタバタせず大らかな気持ちで過ごさざるを得ない様だ。
午後入院費の請求が来た。6/6-6/15の約一週間分で103,530円。支払いは、退院時で良いとの事。最初の入院費用とここへの移動費用と合わせて約20万円。つくづく疾病は、時間とお金の無駄遣いだ。今日のリハビリは、電気治療の後に松葉杖。1階からひとまず病室まで帰って来た。もっと、動けそうな気がするが、思うよりも、痛みと痺れが大きい。大した動きでは無いのに、後を引くのが嬉しく無い。
今日も、伊林さん、関下さんに横田さんまでが見舞いに来てくれた。小岩くんだりまで、只ですら恐縮なのに、メロンやゼリーの品まで持って来てくださった。自在に頬張れたならな、とは思うものの、有り難い事だ。

2008年6月24日火曜日

腰痛日誌6月24日(火) 数えて30日 (未来からの記載)

後一週間もすれば6月も終わりだ。今月いっぱいは、
寝て過ごす事になるのだろうか。
昨日のリハビリ以降の痛みが朝を過ぎても結構残っている。日曜にPandaManが用意してくれた志ん朝師匠の落語は、こんな時には良い鎮静剤になる。
リハビリは、随分と手頃を加えて貰ったお陰で、歯茎を食いしばる様な痛みには至らずに済んだ。それでも、手洗いで大用を足そうと下腹部に力を入れると一気に左足に痛みと痺れが増していく。
辛そうな私に、妻が色々用意してくれた。昨日はキューサイのコラーゲン。これは、普段からコーヒーに溶かし込んでいるものだ。加えて、今日は、マクロファージの働きを助けると言われるキトサンを仕入れて来てくれた。これは私の要請だったのだが、ブームが去ってしまい、あちこち駆け摺り回って漸く見つけてくれた様だ。有り難い事だ。

2008年6月23日月曜日

腰痛日誌6月23日(月) (未来からの記載)

3時ほどに痛みと寒さで目が覚めた。座薬で痛みは、
収まっていくが、エアコンを止めて貰ったのに、足元は震えて身体も温まらない。寒いと痛みも余計に感じる。明け方になって痛みが強まるのは、冷えによる事情もあるのかも知れない。寒さの原因は、窓が開いていただけだったのだが。
昼には、研修生のお市君からメールが入った。SSTチームで先週まで「預り」だったのだが、途中から手解きできなくなってしまっていた。にもかかわらず、わざわざ謝辞と見舞いとを伝えてくれた。嬉しい事である。
夕飯前にリハビリを行って貰った。松葉杖をついての歩行訓練だが、どんどん痛みが増し、中々に辛い。低周波干渉治療器も当てて貰ったが、痛みの増加した分が多少リセットされただけなのか効果は、薄い感じだ。
今晩は、ボスのNegocが見舞いに来てくだすった。私の置き土産も含めて随分忙しい思いをしている筈だが、仕事の心配はせず、治療に専念する様にと、有り難い言葉を掛けて下さる。妻もやって来て、細々と身の回りの世話をしてくれる。私は、誠に果報者である。

2008年6月22日日曜日

腰痛日誌6月22日(日) (未来からの記載)

救急車で運ばれた日を入れて早、4度目の日曜日、
回復基調とは言え、日々の実感は、薄い。
留置麻酔を外して、初日の眠り。
夕べは、頑張って23時半すぎ迄夜更かし(!?)してから寝入ったせいもあり、4時前まですやすや眠れた。それから暫く堪え、座薬を使って、起床時刻まで、ぐっすり眠れた。僅かずつだが、日一日と眠りは、楽になっていく様だ。夜に痛くて眠れ無くとも、睡魔が勝てば、いつでも眠れる身分と言うのは、痛みを別にすれば、気は楽だ。
ブロック注射以降に始まったものではあるが、左足のブーツに覆われる程だった痺れは、やがて底浅の靴下程になり、今日は、爪先程にまでなっている。相変わらず、歩行器で出歩くのは、苦痛だが、手洗いの往復に顔を歪める事も無くなってきた。
それにしても、折角の時間を自在に使えないのは、つまらない事だ。
近くの友人を訪ねたついでにと、PandaMan夫妻が、お見舞いに来てくれた。改めて眺めると中々お似合いのカップルだ。PandaManは、わざわざ落語を自前のMP3プレーヤーに入れて来てくれた。なんと気の利く若者である事か。夫人のチーボは、帽子職人なので、折りをみてオリジナルデザインを所望したいものだ。

2008年6月21日土曜日

腰痛日誌6月21日(土) (未来からの記載)

昨日は、麻酔無しでも多少の眠りを得たが、
夜更けからの痛みは強まり、最早麻酔を我慢できなかった。朝までに1時間半程ずつ、2回の注入で、比較的安らかな眠りを得る事が出来た。この中で、実家の夢を見た。登場人物は、祖母の介護に係わった僅かばかりの人たちだが、不思議と妹がいた。
祖母はいつの間にか、握力を失い、椀を持つのも大変になっていた。せめて、力の入り易いスプーンフォークなど、買い求めねばな、と考えていた。あちこちとガタのきた身体ながら、祝の酒を得て屈託無く、微笑んでいる祖母だった。

吉方病院に転院の打診をした。
本日は、おやすみで入院の必要可否が判断できないため、一度、外来で診察を受けるか、月曜以降に先生同士で、話をしてください、との事。先生とちゃんと話しができないままの転院だったので、仕方無いのかも知れないが、余り快くは、思われていない様だ。さて、どうしたものか。
とうとうカテーテルを抜く時がきた。シリンジで、ワンショットを入れて、カテーテルを抜いて貰う。いっぱい入れてもらったので、少し痺れがある。
退院予定を岡本先生に相談したところ、もう暫く置いて貰える事となった。有り難い事だ。

2008年6月20日金曜日

腰痛日誌6月20日(金) (未来からの記載)

麻酔無しで、昨日の昼から一晩を過ごす事が出来た。
大きな改善だ。とは言え、覚醒下では我慢できると言う程度の痛みで、神経根ブロック以降の神経の突っ張り感に似た痛みとも闘わねばならない。麻酔を開けたくなる衝動にかられる。
朝の行事にタオルでの体拭きがある。妻にも指摘されていたが、改めて眺めると何と脚の細ってしまった事か。動ける様になったら、本気で鍛練し直す必要が、ありそうだ。
夕刻に岡本先生と話をした。麻酔無しで一昼夜を挟んでも覚醒下なら何とか我慢できる事を伝えたが、困った様子だ。元の吉方病院への転院を打診したところ、賛同頂いた。明日にも連絡を入れてみようと思う。
吉方病院に入院できれば、看病疲れで物もらいまでできてしまった妻の負担も多少は、軽くなろうし、階段だらけで世話人のいない不安な狭小住宅での療養も避けられる
夕刻には、ボイスマン、テニスマン、サイキッカーの面々が見舞いに参じてくれた。私が置き土産にしてしまった仕事も含め、皆大変らしい。忙しい最中に有り難い限りだ。
妻も明日は、京都というのに、物もらいの瞼を腫らしながら来てくれた。忝ない限り。

2008年6月19日木曜日

腰痛日誌6月19日(木) 数えて25日 (未来からの記載)

昨晩のリハビリ以降、痛みの収まりが悪く、
夜中も夢うつつに痛みと闘っていたが、朝食後は、漸く落ち着いてきた。
暫くすると岡本先生がやって来て「歩け」と言う。「痛いのは分かっているが、症状を見る為」との事。そして歩いて見ると、意外に歩ける。吹き出す中、3分程でビッコを曳きながら限界を迎えた。(スパルタも有りだなと思った。)
この結果から、急遽神経筋ブロックで原因部位の特定を行う事となった。造影剤+エックス線でモニタに映し出しながら針先で神経筋を探る。ピキーンと何度も足先まで電光石火の如き痛みが走る。ブロック注射後、直ぐに歩行を再開。麻酔でふらつく中、ビッコも曳かずに5分程歩けたらしい。ベッドに戻り、暫く休む間、左足は痛みと共にふるふると震えていた。震えが収まってもう暫くすると、耐え難い痛みが襲ってきた。ここで麻酔を再注入。2時間程の間に痛みは遠退いていった。ここに来て、漸く少し強気な気分だ。
昼食を採り終えて、暫くしてから止めた麻酔だが、今日は、長く止めて居られる。
やがて、妻と共に岡本先生との面談に。曰く、
・オペは可能だが、7~8割の痛みが軽減した患者には、原則手術を勧めない。
・原因部位は、特定出来たが、ヘルニアと目される部分と前回手術に因るはんこん組織の境が、MRIでは、確認できない。
・この為、エピドロスコープに依るオペであっても、正常部位から神経剥離を始めなければならず、これは確実に神経癒着の広がりを意味する。
・オペに依り、今の痛みは、取れるだろうが、それ以前より改善する事は無い。
以上の内容から、保存療法を選択した。
保存の場合、土曜日にカテーテルを抜いて、一時退院となるそうだ。回復ではないが、「できる事はすべてやって残っている事が無い」為だそうだ。最も一週間すれば、留置麻酔の為の再入院も可能らしい。

退院かぁ..。今日の時点では、不安が大きいが、週末を挟めば、もう少し、現実味が増すだろうか。それにしても、今日の急展開は予想外で、月曜に面談していたら、異なる結論を出していたかも知れない。今日の面談で良かったと感じる。

2008年6月18日水曜日

腰痛日誌6月18日(水) (未来からの記載)

脱糞の立ち居振舞いによって、腰と下腹部の痛みが強くなった。
暫く眠りに入れなかったが、明け方近くに座薬を貰い、漸く僅かな眠りを得ることが出来た。期待していた熟睡感は、遠いものとなってしまった。
多少なりとも、痛みが引くと朝は忙しい。手洗い、食事、掃除のためのベッド空け、タオルでの体拭き。何れも麻酔無しでは凌ぎきれない動作を伴う。
ここで特筆すべきは、垢の量だ。少し時間が有ったので、タオルで手を拭くと、幾らでも出てくる。爪で削ると、いつまでも角質が終わらない程だ。きっと、体中、一緒なのだろう。なんたって一月は及ぶ垢だから生半可ではない。これに見兼ねた看護婦さん達が旅籠の足湯の要領で、足を洗ってくれた。気持ちは、良かったが、軽くせっけんで洗った位では、角質化しはじめている肌の垢はほとんど残ったままの様だ。とはいえ、これで、結構スッキリした。後に麻酔医の先生から土曜日にカテーテルを取り払うと正式にアナウンスがあった。(とうとう期限切れ)今の状態のまま、取り払われると、結構厳しそうな予感。
担当ナース名が名札に入った。...オペに向けての準備!?
オペになると、口に麻酔管を止めるため、髭を剃る必要があるようだ。そろそろ、3週間。長く伸びた髭は、電気シェーバーだけでは、賄いきれないだろう。
ベッドの布団が夏布団に替わった。我が家の布団もそろそろ、夏布団の頃合いだろうか。

2008年6月17日火曜日

腰痛日誌6月17日(火) (未来からの記載)

今日は、幾分か動きが楽になった気がする。
岡本先生がいらした。自分に信頼を寄せてくれるなら、
手術を勧めてくれる様子だ。どうやら、私は細かすぎるらしい。持続性麻酔の期間にもそろそろ期限が近付いている。同時に決断の時も近付いている。
小林(市川!?)さんと言う方が、手術を終えて来た。「腰が痛いよう」と小一時間呻いていたが、やがて眠りに落ちた様だ。岡本先生が言う"痛みを伴う"とは、こうした事なのだろうか。
午後から洗髪して貰った。両腕で支えないと座っても居られないため、相変わらずストレッチャーでの洗髪だが、気持ちの良いものだ。後は髭を何とかしたいものだが、髪も切ってこざっぱりとしたいものだ。
今日も甲斐甲斐しく妻が来てくれる。僅かな時間だが、彼女の来訪は力強く、その声は、頼りになる。嬉しい限りだ。

2008年6月16日月曜日

腰痛日誌6月16日(月) (未来からの記載)

本日、土曜日に行われた再検査の内容に付いて簡単な説明が岡本先生からあった。それによるとL4/L5という椎間板のヘルニア再発がはっきりしたとの事。
ひとまず原因部位は特定出来た。立ち話となったため、ややあって痛みに耐えきれ無くなり、治療方針に付いての子細打ち合わせは、できず仕舞いだった。
2回目の手術は1回目に比べたら、比較にならない難しさがあるようで、先生も気乗りしない様子に見える。
手術を考えるなら、確り、お話ししますよ、との事で、ネガティブな言葉と裏腹に自信のほどが伺える。
さて、どうしたものか。

2008年6月15日日曜日

腰痛日誌6月15日(日) (未来からの記載)

1時過ぎに目が覚めて就寝時に止めていた麻酔を再開。
睡魔が痛みを上回るため眠りには就くが、薄れる意識の片隅でずっと痛みと闘い続けている。心地良い眠りには、程遠い。
午後暫くすると、伊東君が、見舞いに来てくれた。彼女に持たされたと言うお煎餅とめぐりズムアイマスクに加え、池波正太郎の堀部安兵衛なる小説を仕入れて来てくれた。彼には、入院経験が有るらしく、ベッドの上の気持ちが分かってくれるらしい。とりとめの無い話に2時間ほど付き合ってくれた。Lassen検索システムのエクスプローラメニューへの追加が出来たら、美味しい物をご馳走する約束と相成った。
染め物の合間を縫って、今日も妻が訪ねてくれた。あいかわらずの他愛ない会話をしながら私の夕食を見守ってくれる。家の事も種々あるがてきぱきとこなしてくれる。賢い妻で良かったと感謝している。

2008年6月14日土曜日

腰痛日誌6月14日(土) 数えて20日 (未来からの記載)

救急車で、運び出されてから、早2週間。
然したる事も出来ぬもどかしさと失せがちな気力が、相まってか、我が家が恋しい。日だまりの噴水、風そよぐスカイデッキ、ラベンダーを眺めるホビーショップ。帰れるのは、いつになるのだろうか。

今日、MRIを再度、撮ってもらった。原因がしっかり、はっきり、くっきり、バッチリ映ってくれる事を願うばかり。

昨日妻が持って来てくれた井草の枕は、快適だ。頭汗かきの私には、必要不可欠らしい。
そして、今日も合間を縫って妻が訪れてくれた。ニューカレドニアで撮ったトライクの写真をフォトフレームに納めて来てくれた。健気な妻に感謝いっぱいだ。

2008年6月13日金曜日

腰痛日誌6月13日(金) (未来からの記載)

睡眠薬だけで、3時頃まで眠れた。その後、
座薬と麻酔を併用して、ゆっくり眠れたが、使い過ぎと看護婦さんに怒られてしまった。痛くさえなければ、どうってこと無いのだがなぁ。さぁ、今日も1日"耐える生活"の始まりだ。
ホットパックを当てていると幾分か楽になる気がするが、それも手洗いやリハビリに立つだけの僅かな時間で、あっという間に吹き飛んでしまう。
エレベーターの待ち時間の間ですら、カウントダウンを重ねる様にビリビリと痛みと痺れが襲う。きっついなぁ。
「来週は、次の手を考えないといけないなぁ。神経根ブロックか。」とは、岡本先生の談だが、神経に直接、打つために、あまり乗り気な手段では無いらしい。

2008年6月12日木曜日

秋葉原殺傷事件

今、腰痛で入院していても、毎日の様に妻が見舞いに来てくれるし、時折仲間も駆け付けてくれる。それでも、たかだか、お手洗い迄の往復幾分かの間に感じる痛さによって、自暴自棄な感覚が生じる。歩行器が真っ直ぐ進まない。僅かなエレベーターの段差越えで響く痛み。痛みが強いと、その程度の切っ掛けで、十分になってしまう。
物理的であれ、精神的であれ、強い痛みは、人を自暴自棄にさせるのかも知れない。

保水ジェルって

砂漠の緑化のために、保水ジェルを使う例をテレビで、取り上げていた。
これって、舗装路や屋上に使えば、打ち水効果を持続させたり、集中降雨の対策になるのでは?
また、熱反射(断熱)塗料と組み合わせたら、温暖化防止にも役立つと思うのだが、どうだろうか。

腰痛日誌6月12日(木) (未来からの記載)

夕べは、就寝前の2時間ほどで麻酔を切り、
睡眠薬と座薬とで眠りに就いた。4時過ぎまでの約6時間はぐっすり眠れた。痛みで目が覚めるが、元々の腰痛部分ではなく、3回目のブロック注射で生じた踝以下爪先迄の痺れ、痛み、冷寒の方が大きい。岡本先生によれば、「何れ神経根ブロックで確かめるのが、良いでしょう」、との事。
ベッドメイキングに合わせて、お手洗いへ。麻酔の影響もあるのか、初めてベソをかかずに、用を足すことが出来た。多少は良くなっているのかなぁ。
1Fのリハビリ室に行った。朝のお手洗いの時は、余り痛くなかったが、今回は、辛くなった。麻酔と低周波干渉治療器の併用が制限されたため、なんだか痛くなっただけで戻ってきた。干渉治療器が無いとリハビリの魅力は、薄い。
午後からは、ひたすら麻酔を解放。今日は、朝と打って変わってなかなか、鎮静しない。そんな中、ツッチーと妻が見舞いに来てくれた。
痛みが、一際強かったせいもあり、せっかく来て貰ったのに、ゆっくりもしてもらえなかった。
それに、えらく上等なプリンを持参して貰い、とても滑らかな舌触りを妻と堪能させて貰った。
思い起こせば、彼には、前回九段坂病院に入院した時にも、荷物整理までして車を出して貰った経験がある。同じ腰痛仲間だから、解るのかも知れないが、かえすがえすも忝ない事だ。

2008年6月11日水曜日

腰痛日誌6月11日(水) (未来からの記載)

昨日同様、睡眠薬を貰い、麻酔を切って眠るつもりだった。
しかし、麻酔を入れているにも係わらず、左足の痛みがどんどん増す。座薬も使ったが、絶対的な効果は薄い。またも、まんじりとしない朝を迎えた。
少々、麻酔の効きが悪い状態で、手洗いに行ってみた。救急車で運ばれた日の1割引き程度の痛みに見舞われた。相変わらず、用足しは、悪夢の様だ。
そして本日二度目のお手洗い。歩行器が真っ直ぐ進まない、突然歩行器の肘パットが落ちる、エレベーターの段差越え、手洗い迄の長い廊下、それぞれ一つ一つが意地悪されている様で自暴自棄な気分に襲われる。困った感情だ。
夕べ、なかなか、寝付けなかった事を訴えたところ、麻酔の先生が、少々調合を変えて下さった。痛みは少なくなりそうだが、これで変化が無い様なら神経根(ルート)ブロックしかないそうだ。
続いてリハビリ。1Fまで降りていくのは苦痛だが、低周波干渉治療器とは、相性が良いらしい。随分楽になる。その事を看護婦さんに伝えるとアイスノンの逆の様なホットパックを用意してくれた。温めると楽になる気がする。その上、頭を洗って貰った。正直、ずっと洗いたくてしょうがなかったので、かなり嬉しい。座れないので、ストレッチャーに横になっての洗髪だ。天気も良く、久しぶりに気持ちの良い午後だ。
内服薬のお陰なのか、ホットパックの効用か、はたまたリハビリが効いたのか、麻酔を使う時間が減った。麻酔が単に強いだけなのかも知れないが。
それでも、3回目のブロック注射以降に現れた左足首以下の痺れは、一向に良くならない。ペインリリースにも欲が出る。

2008年6月10日火曜日

腰痛日誌6月10日(火) (未来からの記載)

睡眠薬を貰って麻酔を切って寝た。1時過ぎに、
目が覚めた時には、既にかなりの痛みが出ていた。何しろ、夢の中では、仰向けになった私の足をロケットミサイルの発射装置に改造されていた程だ。これでは痛く無い訳が無い。座薬を入れて貰ったが、なかなか、収まらず、結局麻酔弁も開けてしまった。ぐっすり寝た筈だが、まだ眠い。昨晩から内服薬を中止し、麻酔のみになったがで、ちょっとした動きでの痛みがえらく鋭いものになってきた。歩行器を使っても2-3分が限度で冷や汗が流れ出る。お手伝いに行って便器に座るもお尻の感覚は無く、勝手に大便が出てくる。下腹に力が入らないため、小用も重力で落ちるのみ。大も小も終わったと思っても、また続いたりする。はぁ~、不便だぁ。
岡本先生から安定剤と新たな服用薬(Hypen,ムコスタ,ルボックス)を処方して貰える事になった。
内服薬のお陰か、動いても差す様な鋭い痛みに襲われる機会は、ちょっと減った。とは言え、トイレは憂鬱だ。
食事が終わって暫くすると、SSTのメンバーが3人揃って面会に来てくれた。昨日の大ボスに引き続き、有難い事だ。私が居なくとも、ちゃっちゃかと進めてくれる頼もしいメンバーで、本当に助かる。面会時間が残り15分のところで、妻も駆け付けてくれた。嬉しい限りだ。

2008年6月9日月曜日

腰痛日誌6月9日(月) 数えて15日 (未来からの記載)

相変わらず、できる事と言えば、麻酔液を出したり、
止めたりする位。食事の度にベッドの上にトレイを置く場所を確保しなければならないのだが、これが結構辛い。腰の位置を移動させる度に、痛みが増す。麻酔が、なければ、やってられないところだ。
暫く、食ってばかりなので、また、腹が張ってきている。また、浣腸かなぁ。
と思っていたところに、岡本先生が、やってきて、「歩かにゃいかん」と言う事になった。9日ぶりに起き上がる訳だが、上体を起こしただけで、目が回る。30分程の座り姿勢で体を慣らしてから、歩行器へ。そしてウンチにチャレンジ。麻酔のせいか出も悪いし、キレも悪い。おまけに、その姿勢が酷く辛い痛みを伴う。まぁ、これで浣腸の心配は、なさそうだ。
お昼ご飯もテーブル食にチャレンジするが、上体を支える腕を外せない。おにぎりを二口食べたところで断念。伏食に変更。麻酔のお陰で何とか立ち座りは、できるものの、結構ベソかく程の痛みに襲われる。きっついなぁ。
再び、岡本先生が来てくださり、飲み薬を止めて、今週いっぱいは麻酔のみで様子を診る事となった。「前向きに気長に行きましょう。」との事。先は、長そうだ。

2008年6月8日日曜日

腰痛日誌6月8日(日)数えて14日 (未来からの記載)

寝たきり生活、早くも一週間。持続麻酔のお陰で、
約6時間ゆったり眠れたが、痺れは強くなる。麻酔を止めて6時間、今度は痛みが強くなる。ただし、仙腸間接辺りにあった強い痛みは、腸骨後ろ上部側の置き鍼の様な痛みに変わってきている。触っていると、下腹部側にも響いてくる。
麻酔を止めたり、出したりしながら、何とはなしに、1日が過ぎてゆく。
宅配便の受け取りがあるとの事で、妻の見舞いは、お休み。代わりに、メールをしょっちゅう届けてくれる。今回は、携帯電話が、大活躍だ。きっかけは、「お前が、持って無くて良いのかよぉ」のVoiceManの一言だが、今は、彼に感謝したい気持ちだ。
夜の10時を過ぎた頃になって麻酔液の補充が行われた。風船形のポンプに注射器の様なシリンダで薬液を充填。当直医と看護師を含め3人掛かりである。何れにしても、大変な仕事である。

船場吉兆

彼らを擁護する気はない。が、暫く続く食の報道には、本質を見失っているのではないか、とも思う。例えば、彼らはこのニュースを食糧を輸出しながら、飢餓に喘ぐ国々に放映できる覚悟は、あるだろうか。

文化を責めるのは、簡単だが、弱者を責めて、終わりにすべき問題でも無かろう。
高級料亭でありながら、食べて貰えない料理を出した事に恥を感じなければ、いけない。これは、もちろんだ。

しかし、何よりも、弱者を仕立て、これを切り捨てると言う報道指針に一番の問題がある。
自給率の低い中、1/3の食糧が無駄になっていると言う。こうした事に抜本的な手を打ってこなかった政府にも責任の一端はあるだろうし、学校や各家庭の教育にも不徳があるのは、事実だろう。
だからこそ、報道者には、正義ある多面的な見解を望みたい。
そして、「日本人よ、目を醒ませ!リメンバー"もったいな~い。"」

2008年6月7日土曜日

腰痛日誌6月7日(土) 数えて13日 (未来からの記載)

座薬無しで、3時頃迄、眠れたのは、上等な方だろう。この辺で、
痛みが限界になり、結局座薬を所望。再び眠りに就く。7時過ぎ迄眠れたのは、一週間ぶり以上だろうか。ゆっくり眠れるのは、気持ちが良い。
浣腸に続けて、硬膜外持続性麻酔(0.25%マーカイン)を実施。尾骨の辺りから入れるのかと思っていたが、実際には、背骨中程からの挿入だった。ベッドからストレッチャーへ、ストレッチャーから手術台へ、看護婦さん達は、重労働だ。カテーテルの留置は、滞りなく終わり、痛みは、痺れに変わった。それだけでも、随分と楽だ。お昼ご飯が終わる頃になると痺れは、無くなりはしないものの、かなり和らいでいる。こう丸の左半分が痺れている事もあってか、小水の出が悪く、キレも悪い。で、暫く麻酔を停止。
夕飯を食べ終わった頃に妻がきてくれた。相変わらず、笑顔と水を運んでくれる。家から1時間半ほど、往復で3時間ほどにもなる。心強く嬉しいものだが、看病疲れが、心配でもある。
麻酔液無しでも、我慢できる程度の痛みだが、入眠には、差し支える。看護婦さんに頼んで、薬液注入再開。有頂天ホテルには、目もくれず、とっとと眠りに就く。

2008年6月6日金曜日

腰痛日誌6月6日(金) 数えて12日 (未来からの記載)

昨夜、大便をしくった時の激痛で、2時頃から、
まんじりともせず、やや睡眠不足の朝を迎えた。
本日は、転院日。救急車で搬送以来、横たわり生活6日目である。
みやじま自動車に寝台車を頼み、はるばる小岩迄搬送していただいた。約4万円の輸送費である。お昼過ぎから、MRIとX線撮影を行って、病室へ。結果は、良く判らないらしい。前回手術の後と癒着、ヘルニアの区別が付き難いとの事。暫くカテーテルを留置して、ブロック液を流し続けて様子見しましょう、と言う事になった。改善が見られなければ、木曜日に神経根ブロックで、原因特定を模索する方針との事。
岡本先生によれば、「チョロっと出たヘルニアから悪性物質が出て炎症を起こし、これが痛みの原因になっているのではないか。悪性物質にも限りがあり、摘出しない方がブロックになって良い事や、手術後の癒着が多く、神経剥離にリスクが大きい事から、先ず保存療法から始めましょう。」と言うアドバイスになった。
移動やら、検査やら盛りだくさんだったため、少々疲れた。座薬無しで、今日は眠れそうだ。
朝から、付きっきりの妻にも疲労の色が見える。

2008年6月5日木曜日

腰痛日誌6月5日(木) 数えて11日 (未来からの記載)

座薬を入れて眠りに落ちた。約4時間半の連続睡眠は、
記録更新だ。しかも、仰向けに近い形で眠れる様になってきた。そして座薬無しで更に2時間の睡眠。なんにしても、眠れるのは有り難い。
看護婦さんから、この病院でもエピはできるので相談して、と案内があった。何れにしても、情報が欲しい。せめてMRIが撮影できる状態にならないと、判断が難しい。
火曜に続き、身体を拭いて頂いた。妻でもしてくれない下の方迄、丁寧な仕事で、大変気持ちが良い。山本先生のリハビリは、左足先までジンジンと響いた。来週には、車椅子かな、との事。そして、様子見を含め、今日のブロック注射は、見送り。
さて、急展開。岩井整形外科内科の岡本先生の計らいで、明日MRI検査に引き続き、入院できる事になった。3件目にして寝台タクシーもゲット。随分と慌ただしい午後になってしまった。
そして、ゲン担ぎのため、母親に墓の修理を頼んだ。実家のお墓の一つが、雪溶け氷により破損が進んでいる為だ。2段目の墓石の裏側で、ちょうど腰の位置辺りになる。秋口から調子が悪かったりする事から考えるに、こんな事が要因の一つになっているのかも知れない。まぁ、ゲンは担いどけ!ってとこだね。
就寝前に、大便に、トライしたが、挿し込み式便器の負担はまだまだ大き過ぎ、単に激痛をもたらすのみとなってしまった。座薬を使うも痛みが収まらず、なかなか眠れない。
*.入院5日目、なかなか、目論見(期待!?)通りには、回復してくれない。

2008年6月4日水曜日

腰痛日誌6月4日(水) 数えて10日 (未来からの記載)

思うほどに眠れない。痛みはもちろんだが、
ブロック注射の後の睡眠が充実し過ぎたせいか?座薬を入れても、毎日2時頃になると目が覚める。座薬再投入が可能な6時間経過を待って、再び眠りに付いていたが、今日は我慢ができた。
多少落ちついて来たのかも知れないが、うっかりくしゃみをしてしまった。激痛がなかなか治まらない。
それと、腹が張って苦しい。2日分の便が溜まっているせいだが、仰向け用の便器と言うところに敷居の高さがある。
座薬を使って排便を試みた。催して来たので、挿し込み式便器を用いようとするが、激痛が走る。ほとんどの便は、引っ込んでしまった。何もかもが辛い。
そして、ブロック注射3回目。ガツンと骨身に染みる痛さだ。「ここが、正念場」との事。とは言え、そろそろ、動ける様になりたいものだ。それに、注射後に左足爪先と左足外くるぶしに新たな痺れと痛みが加わった
看護婦の濱田さんと相談して岩井整形外科内科への転院を打診したが、万床との事。入院予定は立てられない。弱ったものだ。
妻が急いで、駆け付けてくれた。お陰で残り3割ほどを食べさせて貰えた。楽チンだ。バカ夫婦万歳である。

*.向かいの辺りのベッドから日に何回か、「もう、やだな」というおっさんの声が、聞こえてくる。ヘルニアの手術をして、安静1週間目の様子だ。気持ちは、良く分かるね。

2008年6月3日火曜日

腰痛日誌6月3日(火) 数えて9日 (未来からの記載)

やや辛くなってきているか。
右を下に寝ているのが限界に近づいている。仰向けに寝ると足が痛い。とっととなんとかしたいものだ。
座薬や飲み薬は、もちろん一定の効果があるが、瞬間瞬間には、妻が用意してくれた水が有効だ。ずっとルルドの水を飲み続けていれば、もっとマシになるのかも知れない。
入院してから、ずっと妻が用意してくれたiPodで音楽を聴いている。この小さな箱の効果は大きい。4GB/600曲の恩恵も大きい。
お昼ご飯は、お蕎麦だった。目線より高い丼から左箸というのは、罰ゲームに近い。しかし、この非常性が、暫し痛みを遠ざけてくれるのも事実だ。
3時過ぎになって院長の吉方先生が、ブロック注射を打ってくださった。量は、20ccだ。かなり痛い。かつてミエロを撮る時に像映剤を使ったが、その時の気配に近い。まぁ、痛くとも、一瞬なら我慢はできる。
で、結果は、暫くゆったり眠れる。動かすと痛みは変わらないが、動かさなければ、我慢できる領域が増えた。正直、期待には遠く及ばないが、僅かには改善しているのだろう。
暫くして、リハビリの再開。腹式呼吸法と腰椎の手技による牽引。山本先生の指導は、信頼確かだ。そして、妻が腹を減らしながら、見舞いに来てくれた。他愛ない幾ばくかの会話がやたら嬉しい。
それにしても彼女が、京都のスクーリング期間中でなくて幸いだった。

2008年6月2日月曜日

腰痛日誌6月2日(月) 数えて8日 (未来からの記載)

吉方病院に受け入れて貰って2日目、今日から検査が始まった。
昨日は、休日で、座薬と痛み止めの飲み薬のみ。痛みは、家にいるのと変わらないが、安心感が救いだ。ブロック注射をやっと使って貰えた。4時間ほど、少し幸せな時間が訪れる。
激痛で、車椅子が使えなかったため、大部屋を人払いしてのレントゲン撮影。
これはこれで、痛みが、容赦無く襲う。検尿がなかなか採取出来ず、導尿管を使う。普通に立てれば、どうという事の無い事が悉く不自由だ。お箸も左手使い。

2008年6月1日日曜日

腰痛日誌6月1日(日) 入院初日 数えて7日 (未来からの記載)

朝、椅子に疲れて、床に横たわった。排尿を催したが、
どうやって、起き上がれば良いのか分からない。
漸く、四つん這いで後方から便器に近づくが、其所から動けない。近くの踏み台を使って、気合い一発、唸り声と共に便器に着くが、縁を持つ手を離せない。用は足したものの、動けない。昨日迄は、座って暫くすると立ち上がれたが、今日は、その気配が無い。顔面蒼白になった私を見て、妻が救急車を呼んだ。
あっという間に彼らは駆け付けて、屈強のポンプ隊が、地下から私を運び出してくれた。
忝ないが、頼もしい。
歩行が辛くなったのは、月曜日。ぎっくり腰の時と異なり、どんどん悪化した。しかも進行が早い。妻が甲斐甲斐しくサポートしてくれる。九段坂病院の再現の様だ。思い起こせば、あの時の方が症状は緩やかだった気がする。